福 城

岡山県美作市土居

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中国自動車道、「佐用IC」から国道179号線を西へ走ります。

兵庫と岡山の県境を過ぎ、JR姫新線「美作土居駅」の東側を町民グランド目指して北へ登ると、福城(ふく)があります。

2005年10月、美作は昨年12月以来。 だから美作は大好き、なぜかニコニコしそうだよ。
   
   
「美作土居駅」、大きな案内は「出雲街道土居宿跡」とある。

駅の東は宿場町、ぐるりと北へ回れば町民グランドの駐車場。

今日は野球の試合があるみたい、大型バスが選手の帰りを待っている、その奥には供養塔。

城主は江見氏、美作では江見氏の名前が沢山、それぞれの江見氏はつながってくるのかな。
 
  
「城山稲荷」

供養塔には「ここから100m、馬落とし」とある。

当時は堀切と呼ばなかったのかな、玄関は虎口やしね。

JRの次の駅が「江見駅」、その北の鯰城は江見氏の本城と云われている。 矢櫃城も江見氏、そう友野城もだよね。

美作菅家から出た江見氏、赤松氏の江見氏、どう関係してくるのかな。
    
   
「西惣門(関門)」

土居駅のすぐ南だよ。

慶長の頃、幕府による出雲街道を整備した時、ここを美作七駅の一つとして土居宿駅と定めました。

街の東と西に門を設け、朝夕に門を開閉していた。

明治2年の関所廃止まで続いていたらしいよ、美作七駅も気になる数字やね。  
   
  
「一里塚」

江戸の日本橋を起点にして、一里(4km)ごとに塚がつくられたのが「一里塚」。

ここは藩主・森忠正の時に置かれたよ。

でも、最初の松は戦争の時、献木のために切られたらしい。 「献木」、初めて聞いた言葉だね、何に使ったのかな。 
   
  
福城から179号線を西へ、道沿いに案内があったよ。

案内には何て書いてあったのかな、忘れたけど。

黒いところは古代米、素晴らしいアイデアだと思う。

「OKAYAMA」の文字もある、「晴れの国おかやま国体」だね。

「のじぎく国体」の横には何がいるかな、来年もニコニコ楽しみだよね。 
   

   
天文十三年(1544)、出雲の尼子晴久が美作に進出し、西の美作市役所近くの林野城に、部将の川副久盛を入れました。

この頃、福城主・江見帯刀は川副久盛に属していたのです。

永禄十一年(1568)、毛利氏が尼子氏を討つために兵を挙げると、川副氏は出雲に退きました。

この時、林野城の諸侍は三星城主・後藤勝基に従うのですが、江見氏はこれを拒むと、福城は後藤氏に攻められました。 のち江見氏は備前の宇喜多直家に仕えるのです。

『参考文献を参照』

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