八幡山城

岡山県赤磐市仁堀中

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山陽自動車道、「和気IC」から国道374号線を吉井川に沿って北上します。

途中の天神山城を越え、備作大橋を渡り次の信号で国道484号線を西へ走ります。

仁堀から52号線を北へ500mぐらい、細い道を東へ入ると神社の背後には標高210m(比高30m)の八幡山城(はちまんやま)があります。
  
  
大好きな川といえば、吉井川と千種川、今日も備前に来たよ。

詳しくは分からないけど、浦上氏に付いた小坂氏のお城だよ。
 
  
神社の右側から登る、すぐに山頂に着くよ。

右手には大きな堀切、そのまま道を歩くと道路に出てしまう。

戻って神社の裏手の一番高い所に入るよ。
 
  
平らな所が主郭かな、よく見ると土塁もある。

浦上氏に付いた小坂氏の話、最後はどうなったのかな。

赤松氏の重臣だった浦上氏、そして浦上氏は家臣の宇喜多氏に滅ぼされていく。

その中で沢山の諸将が滅んでいく、大きな会社の競争、現在も同じなのかな。 
  
  
吉井川を少し北へ走ると、ここで2つに別れる。

橋の向こうは鷲山城、ここも浦上氏家臣のお城だね。

東は美作につながる吉野川、西へは吉井川が津山まで流れるよ。

あと何回来れるかな、一人でもさびしくないけど、しばらくは秋の花を眺めているよ。 
  

   
ここから西の久米南町下弓削にある秋小屋城(本丸城)には、天神山城主・浦上宗景に仕えた小坂興三郎家房が在城しています。 その子・小坂弥三郎も浦上宗景に従い、この八幡山城を守りました。

天正元年(1573)、備前沼城から岡山城に移った宇喜多直家は、毛利氏と結んで主家・浦上氏をしのぐ勢力を持ち始め、これに対抗して宗景は信長と結ぶのです。 

こうして備前では浦上氏と宇喜多氏が対抗すると、多くの諸将も宇喜多側に傾いていくのですが、小坂氏は浦上氏の部将として忠節を守りました。

天正五年(1577)、ついに浦上方と宇喜多方は争い始め、宇喜多方の難波十郎左衛門、難波忠兵衛、沼元彦右衛門豊国、沼元新左衛門、神納五郎左衛門、菅納五郎左衛門、菅納右衛門、三浦源十郎、河島玄蕃らは久米南町全開の蓮華寺城に籠城しました。

浦上方では延原内蔵允家次、岡本太郎左衛門氏秀を大将として、小坂與三郎、源家森、池田主膳らが蓮華寺城に攻め込み、最初は浦上勢が優勢に戦っていたのですが、天神山城が落ちた報せを聞き退散、ついに備前は宇喜多氏が制覇するのです。

『参考文献を参照』

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