岡山県都窪郡早島町早島 | |
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瀬戸中央自動車道、「早島IC」から国道2号線を東へ走ります。 「早島中交差点」から165号線を南へ、すぐ東へ入ると公園、その高台が早島城(はやしま)です。 2005年7月、梅雨が明けそう、もうすぐ真夏。 急がなくては、早島にも真夏が来てしまうよ。 |
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戸川陣屋のすぐ北の公園、竹井将監が築いた早島城だね。 岡山県井原市美星町には小笹丸城があり、城主・竹野井氏がこの早島城主・竹井将監と云われています。 と聞くと美星町にも行きたくなるよね。 |
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南の早島公園の碑がある所を入り、右(東側)の「早島景勝地」の碑の横だよ。 当時のものかな、神社の石積みかな。 東側を回ると竹林、北側の散歩道もお城の姿を残しているよ。 |
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一番高い所には稲荷神社とこの社が祀られています。 西側には「国鉾神社」、九代領主・戸川安悌が寄進した燈籠があります。 お城のすぐ南には戸川陣屋(早島陣屋)があって、ここは「不老の道」散策コースになっているんだよ。 |
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「竹井将監の墓」 加藤清正と真っ向から勝負して、一歩もひけをとらなかった竹井将監。 敵ながらあっぱれな武人として、秀吉が供養のために金子五十両を与えて祀ったと云われています。 今の時代、「あっぱれ」と言われることもないし、言うこともないね。 |
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天正十年( 1582)、信長と毛利氏がついに激突しました。 秀吉が岡山へ兵を進めると、毛利方は備中高松城・宮路山城・冠山城・鴨城・日幡城・庭瀬城・松島城を防備の城として構えるのです。(備中境目七城) 秀吉の先陣である宇喜多秀家勢が宮地山城主・乃美元信を追放して、林三郎左衛門、鳥越左衛門、松田左衛門らが守る冠山城へと攻め進み三方から囲みました。 この時、冠山城には早島城主・竹井将監も毛利方の城兵として詰め、将軍・足利義昭や毛利輝元の赤旗を立てて、秀吉軍に鉄砲を雨嵐のように撃ちました。 備前勢が退却すると、秀吉方は密かに伊賀者を城内に忍び込ませて火をかけ、城内は大混乱となりました。 そして竹井将監は秀吉の家臣・加藤清正と一騎打ちとなり、惜しくも戦死するのです。 『参考文献を参照』 |
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