市場古城

岡山県総社市新本

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岡山自動車道、「岡山総社IC]で降りてから国道180号線を西へ走ります。

「高梁川」手前の「鉄鋼団地前交差点」から「総社大橋」を渡り、県道80号(上高末総社線)を8kmほど西へ行きます。

「新本バス停」を南の橋を渡りると、すぐ東側の標高40m丘には市場古城(いちばこじょう)があります。
  
   
祠の後ろに石垣が見えてるよ。

この市場古城はすぐに分かると思ったのですが、分からなかったです。

実は2回来ています。 というのは、2003年12月が一回目で、ここから少し南のまったく違う竹林をうろうろしていました。

その時、やっとこの一の壇を見つけました。 もう少し高い山かと思っていたのですが、民家の中にあったのです。
 
  
一回目、まだ紅葉だよ。 その時は、この写真の右側中央の山の中を捜していたよ。 その山から、ここが見えたんだよ。

向こうの田んぼでは、数名の子供と大人の方が一本の竹を囲んで、何かしていたよ。

その横をいかにも「城探索」という姿で、うろうろしたけど、全然違うところを捜していたんだね。
  
  
帰ってから、資料を見たら井戸や石垣があるとの事で、1月に二回目の訪問です。

5mぐらいの高さの石垣です。 こんなにすごい石垣があるよ、一回目に横を通ったはず。 背が高いから、分からなかったのかな。

そして一の壇の後ろに井戸があると思って捜したよ。 藪の中で「○○永不○」と書かれた石碑があったけど、そこではないみたい。 
  
  
南側の出城との間にある堀切です。

周囲は民家だから、あまりうろうろするのは気が引けるけど、姫路からこの城を目指して来たからね。 結局、「井戸」は分からなかった。

石組みされ、深さ5mの井戸だよ。 また家で資料を見たら、石垣のあたりにあったみたい、三回目の宿題だね。

(資料を持っていくか、地元の方に聞けばいいのに) の声が聞こえるよ。
  

  
元亀三年(1572)、毛利氏と宇喜多氏と結ぶと、中に立たされた備中松山城主・三村元親は信長と結び、毛利氏に反旗を翻しました。

天正二年(1574)、毛利・宇喜多連合軍と三村勢との間で激戦が起こり、毛利勢による備中国の国吉城攻めで、永井越前守一虎は法行之勝と槍を合わせてこれを討ちとり、その軍功でこの城へ入るのです。(天正の備中兵乱)

その後、永井一虎亡き後、嫡子・重虎が継いで、慶長五年(1600)の関ヶ原の戦いでは出陣しているのですが、その足どりはつかめず、合戦後に毛利家が長州へ移封となった時、この市場古城は廃城となりました。

『参考文献を参照』

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