鴨 城

岡山県岡山市加茂

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山陽自動車道、「岡山IC」から53号線を南へ走り、180号線を西へ向かいます。

JR吉備津駅を過ぎて「加茂交差点」の次の信号を西へと入ると、田園風景の中には鴨城(かも)が見えます。

2005年7月、梅雨の晴れ間の岡山、ここも備中境目七城のひとつ。 七夕の夜空、いつまでも夢満天で輝いておくれ。
   
   
加茂城、鴨庄城や岡崎城とも呼ばれ、十六世紀前半には岡本隼人が城主と云われています。

織田氏と毛利氏が戦った最前基地、いわゆる備中境目七城の一つだよ。
 
  
田園風景、お城はどんな風景だったのかな、と歩いてね。

岡山市の西を流れる足守川、山陽本線近くには庭瀬城と松島城。

北へ上ると、日幡城、鴨城と備中高松城だよ。

さらに北には冠山城と足守陣屋の近くに宮地山城があるよ。

宮地山城の西が古代山城の鬼ノ城、岡山の地図をお城で覚えるのも楽しいよ。
   
   
「吉備津神社の回廊」

鴨城から180号線を東へ少し、吉備津神社があります。

第十代・崇神天皇の時、四道将軍として吉備国に派遣された大吉備津彦命を祭神としています。

四道将軍とは北陸・東海・丹波・西道に派遣された皇族将軍のことです。
   
  
「御釜殿」

百済の王子・温羅が吉備国に来て悪行をしていたので、朝廷の命令で大吉備津彦が討伐しました。

そして温羅の首をカマドの下に埋めたという伝説があります。

今では釜が鳴る音を感じて占いが行われる「鳴釜神事」が行われているんだね。

桃太郎の話だと思うけど、古代・昔話・現実が霧の中で次元交差する、そんな雰囲気の部屋だよ。 
  
  
去年の七夕、短冊に書いたのは、

「夜空に輝くお星さま 教えておくれ 幼き頃の 大きな夢を」

子供の時、七夕は八月初めだと覚えている、最近は七月なのかな。

天の川とふたつの星、幼き頃、今夜の分まで見ていたらよかったよ。 
  

   
天正10年(1582)、信長は秀吉に毛利氏攻撃を命じました。

秀吉は姫路から岡山へ兵を進めると、毛利方は備中高松城・宮路山城・冠山城・鴨城・日幡城・庭瀬城・松島城を防備の城として構えるのです。(これを備中境目七城といいます)

毛利方が備中に布陣した時、鴨城の本丸には桂広繁、西の丸には上山元忠、東の丸には生石中務少輔が在城しました。

この生石氏は、備中の吉備津神社の社務代を務め、のち幸山城主となった石川氏に属していました。

天正2年(1574)、備中松山城主・三村元親が信長と結んだことから、毛利氏の攻撃を受けて三村氏は滅亡し、石川久式も三村元親の義兄であったため自害しています。(天正の備中兵乱)

のち生石氏は毛利方の小早川隆景に属し、鴨城を守っていたのですが、秀吉方に寝返り備前の宇喜多勢を東の丸に入れるのです。

そして本丸の桂勢と生石勢との間で鉄砲の撃ち合いが行われ、生石側は炎上し備前衆は城の外へ崩れ出たと云われています。

『参考文献を参照』

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