肩脊城

岡山県岡山市東区瀬戸町肩脊

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山陽自動車道、「備前IC」で降りて、そのまま国道2号線を西へ走ります。

吉井川を渡り、南の備前福岡城を見るとすぐ221号線を北へ、新幹線を越えるとまもなく右手(北側)に「願興寺」の看板があります。

看板から集落への道を奥へ奥へとゆっくり進むと公民館、その東側には標高74mの山頂に肩脊城(かたせ)があります。
  
  
2004年7月の初め、太陽いっぱい、梅雨も終わりかな。 いよいよ「夏」。

草木を掻き分け、クモの巣いっぱい、ほんと夏の山城は大好きだよ。

何故、それは「暑さ」を感じる瞬間は、「熱さ」を忘れているからね。
 
  
この山が肩脊城、そんなに高くないけど、どこから入るのかな。

田圃で草刈をしていたおじさんに尋ねてみました。「お墓から登るよ、去年1人登った人がいたよ」

そうすると今年は初めてかな、夏男20人で来たら自治会で大騒ぎだね。

という訳で、道沿いの自治会公民会の横から入っていきます。
  
  
 山裾には大きな堀切、ここは2つの山の間の抜け道になっている。

真っ直ぐ抜けると池、右側を少し登るとお墓、ドキドキするよ。
  
  
ところで山へ登る道はどこかな。

探すように中に入っていきました、道はどこかな。 
  
 
  
道がないよ、おかしいね。 木を掻き分けながら少しづつ登ります。

この時期の山城は大変、おじさんが持っていた草刈り機を借りてくればよかった。

帰りに分かったけど、10mぐらい横に道があった。 ずーと平行に登っていた、お墓の一番上辺りから登るんだよ。
  
  
着いた、肩脊城の碑がある所。 ここだけ木が無いね。

何故こんなに地面が波打っているのか、不思議だから写真を撮ったよ。 
  
  
 山頂から少し南へ進むと小さな掘がある、もうこの辺りまでが限界。

と、すぐに諦めさせてくれるから夏はいいよね、よかったです。
  
  
降りてきた、おじさんは草を刈っている、軽く会釈「ありがとう」。

ひまわりの観察は小学校以来、よく見るときれいな色だね。

平日のビル街は熱い、道路も熱い、言葉に出すのは「熱い、熱い」。

一週間に一度ぐらいは「暑さが似合う人」になって、「夏が似合う人」になりたいね。 
  

  
肩脊城は宇喜多直家の三家老の一人、岡利勝が築いたといわれています。

天文13年(1544)、天神山城主・浦上宗景の家臣であった宇喜多直家は乙子城を与えられ、 この時、戸川秀安、長船貞親、花房正幸そして岡利勝らが直家に加わっています。

永禄11年(1568)、直家が虎倉城主・伊賀久隆を使って金川城主・松田氏も滅ぼし、御津郡建部町の白石城主として入ったのは岡利勝の方です。

天正5年(1577)、直家は天神山城を攻撃、主家の浦上氏を滅亡させ、その勢いで播磨へも攻め入り、佐用の上月城、福原城と赤穂の有年城を落とし、岡利勝に守らせてました。

慶長二年(1597)、岡利勝は秀吉の第二回目の朝鮮出兵の時、宇喜多秀家に従い翌年釜山で病死をしています。

利勝の子・利秀(家利)は宇喜多氏家臣・明石全登の妹を嫁に迎えています。

利秀は、関ケ原の時に徳川氏の命令で肩脊城に籠もったまま参戦せず、のち徳川氏に仕えています。 しかし利秀の子・平内は大坂の陣の時、明石全登とともに大坂城に立て籠もるのです。

元和元年(1615)、平内は幕府の追求により自首するのですが、京都妙願寺にて父・利秀とともに切腹の運命となりました。

『参考文献を参照

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