北曽根城

岡山県和気郡和気町曽根

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JR「和気駅」の線路を越えて吉井川の支流である金剛川を渡ったところの和気富士と呼ばれる標高173mには北曽根城(きたそね)があります。

日本一の藤の里である和気の街は、筑紫・吉備・出雲・飛鳥の古代日本文化の発祥地ともいわれ、奈良・平安時代に活躍した和気清麻呂の生地でもあります。
  
  
登山口からすぐのところに最上神社があり、そこには「和気アルプスの登山地図」を自由にいただくことができます。

9月1日から11月30日までは松茸山のために入山はできないそうです。 この日はまだ8月だから大丈夫。

最近、ようやく「山歩き」の本を買い、準備品や服装と心得を今更ながら勉強を始めたのです。
 
  
北曽根城は戦国末期に備前・美作・西播磨に権勢を誇った浦上宗景の家臣・明石景行が開いた城です。

写真を映しているすぐ左に2mぐらいの四角い水亀があって、丁度その位置に立つとベストな写真が取れるのですが、山歩きの本にも長靴までは載っていなかったので、なかなか教科書どおりにはいかないです。
 
  
石垣です。でも北側にはもっとすごい石垣があるそうです。 やっぱり見るの忘れました。

いつも家を出て、岡山県に入った頃にどこのお城に行くかを決めているのです。 山歩きと言うより、基本的にこの時点で間違っているでしょうね。 
  
  
一の曲輪を裏に回ると石で囲まれた井戸らしきものがあります。

何も説明はないので、井戸かな。 お城を造った人も井戸なら井戸と書いてくれていたら助かったのですが。  
  
  
「和気富士 健康づくりの路案内」

城跡探索以来、いつもズボンはGパンです。 山歩きを見ると「Gパンは不可」といきなり書かれています。

たしかに、Gパンは汗で重く、その重みは帰りの自動車でも乾くことなく辛い想いを繰り返していました。

45歳の誕生日も来たことだし、ここは素直になって教科書どおりに山歩き用のズボンを求めスポーツ店を回ることにしました。
  
  
「和気神社の狛いのしし」

和気駅から4km東北には「和気神社」と桜と紅葉の名所「芳嵐園内」があります。

両脇は狛犬(こまいぬ)ではなく、「狛いのしし」です。
清麻呂が道鏡に追われ、宇佐八幡へ行く時、三百頭のいのししが守護したそうです。 それ以来、厄除けの霊猪として信仰されています。

明治に発行された十円札には清麻呂と猪が印刷されています。

小さい頃、百円札までは使っていたのですが、さすがに十円札は硬貨に替わっていました。 今、実物を見たら感動やろうね。 
  
  
「和気清麻呂像」

生誕1250年を記念して建てられ、公園のシンボルとなっています。

近くには「藤公園」があり、4月下旬には「藤まつり」を開催、北海道から九州までの天然記念物に指定された藤が勢ぞろいだそうです。

歴史教科書問題がニュースに流れるのですが、たぶん日本人がピンと来ないのは、暗記する事が多すぎて、江戸時代も終わり頃、「大塩平八郎の乱」のページにもなるとマーカのインクが無くなるからかな。

この問題も歴史教科書の読まないページあたりに載るのでしょうね。 試験に出そうもないからね。
  

    
この城は、名黒山城とも呼ばれ、戦国末期に備前・美作・西播に権勢を誇った浦上宗景の家臣、明石景行が開いた城である。

その後、弟・宜行が跡を継ぎ、宇喜多氏の反乱に呼応して浦上氏を滅ぼし、四千五百石を与えられたが朝鮮戦役で戦死、遺子・久蔵も関ヶ原の戦で宇喜多氏に従って西軍につき敗北、この城は廃城となりました。

現在、この山は通称「和気富士」と呼ばれ、つつじの名称として親しまれています。

「現地案内を参照」

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