虎倉城

岡山県岡山市御津町虎倉

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山陽自動車道、「岡山IC]を降りて国道53号線を北上し、JR金川駅から31号線を西へ走ります。

宇甘川の景色を楽しむと、やがて虎倉トンネルが見えてくるので、その手前で左側へ曲がり市場集落の橋を渡ります。

その集落の背後には標高327m(比高227m)の山頂に虎倉城(こくら)があります。
  
  
岡山県の地図を持っていなかったのですが、御津郡の金川城から宇甘川を西へ行くと虎倉城。 と覚えていたので、なんとか来ることができました。
  
11時、橋の手前でおばあさんに登山口をたづねました。
「お昼ごはんを食べたら、一緒について案内してあげるよ」と。 うれしかったよ、でも一人で行くことにしたよ。
  
  
この橋を渡ると、お宮があります。

そこの城の説明では、山の丁度真ん中あたりから登るルートが書かれていましたが、今回は左回りで、城の後ろから入るコースで登りました。 ここは道が細いから気をつけてね。
  
  
 「小川の音」

少し手前の舗装の最後に車を置いて登ります。
水の音と落ち葉を踏む音、これだけでも十分だよね。 しばらくはこのような山道が続きます。
  
  
 「土橋」

ここに城説明板があります。 よく見ると堀切になっているよ。
  
 
 「供養塔」

出丸には伊賀氏と長船氏の供養塔があります。
  
  
出丸から三の丸へ行くと、堀切があります。
すごく大きいよ。右側へ登ったけど、そり落ちそうだった。
  
  
本丸横には、わずかながら石があります。 きっと本丸の周囲には土に埋もれているんだよね。
  
  
久しぶりに井戸を見ました。 かなりしっかりと石で固められています。
  
  
本丸から二の丸へは竹がいっぱいです。 途中に窪んだところが二箇所、池だったのかな。 その辺りにも石垣があるはずだけど、わからなかった。

でも、こんなに沢山見たのも久しぶり。 とてもうれしいよ。
  
  
車を置いたところに、大きな石積があるよ。 帰りに気がついたよ。

山麓で生活していた時の館があったのかな。 すごく沢山あるよ。

もう嬉しくて嬉しくて、何度も後ろを振り返りながら、おばあさんにも「ありがとう」と言ったよ。
   

    
虎倉城跡は、城山山頂に築かれていた中世の山城です。 十五世紀後半に金川城(玉松城)の出城として服部伊勢守が築いたといわれていますが、詳しいことは分かりません。

十六世紀前半に伊賀氏の居城となり、以後三代にわたり城主となりました。 十六世紀後半の伊賀久隆の頃が全盛で、宇喜多氏の有力武将として、備前国北西部から備中国東部を支配しました。

やがて宇喜多氏と対立し、子の与三郎は虎倉城から出ました。 その後、長船越中守の居城となりましたが、天正十六年(1588)、一族の争いで城は焼けてしまいます。

虎倉城跡のある城山は急な山で天然の備えとなって、また、主要交通路の金川と高梁を結ぶ道、現在の県道高梁・御津線を見下ろすことができる重要な所です。

虎倉城は連郭式山城で、慰霊碑のある郭から東へ200mの山頂に本丸があり、本丸から東に二の丸、出丸が、西に三の丸があります。

郭の先には堀切が設けられ、本丸は石垣で築かれ、35×25mの広さがあり、瓦片も見つかっています。

虎倉城は重要部に瓦ぶきの建物が建ち、土塀が巡るしっかりした城であったのでしょう。 しかし、この城は戦いの時に備えた城で、ふだんは山麓の根小屋で生活していたようです。

『現地案内より』

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