大廻・小廻山城

岡山県岡山市草ケ部・岡山市東区瀬戸町

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山陽自動車道、「備前IC」で降りて、そのまま国道2号線を西へ走ります。

吉井川を渡り「岡山バイパス」入り口から250号線側を西へ、「東平島交差点」で37号線を北へ進みます。

JR山陽本線と交差する地点の西側には、標高198mの大廻・小廻山城(おおめぐり・こめぐり)があります。
   
    
現在2004年の7月。 1400年前、誰が何の為に築いたのか記録がまったくない古代山城。 実は楽しい「謎」を残すのが目的だったのかな。

延長約3.5kmに及ぶ土塁や石垣が山を囲んでいるらしい。

何の目的で造られのか、その「謎」は解明されていないよ。
  
   
JR山陽本線の瀬戸駅から沼瀬戸線(220号線)を南西へ走っていると道沿いに案内があります。

ここから2.7km、自動車で十分登れるよ。 
   
   
常楽寺を越えて、更に奥へと進む、でもだめだ不安が出てきた。 今まで、道なき山城に登ったことがあるのに、何故かな。

とにかく反対側に降りそうなので、引き返すよ。

ゆっくり走ると、石垣があった、降りてみる。
   
   
車を道に置いて、すこし中まで入ってみた。

どこまで続いているのだろう、もしかして3.5kmの山一周。

ここで、引き返そう、まだまだ奥まで石垣が続いているけど。

これ以上入ると、古代から帰れないような気がする。
   
   
1400年後へ「謎」を残してくれた古代の人々、いろいろ想像するのは楽しいよね。

「子供達の就職先を減らしてでも、親は必死で海外へ進出し、稼いだお金で子供を育てては、老後が不安と嘆く、これは現在の人々。

古代から1500年後、「山城の謎」が解明できた人々は、現在の謎に首をかしげてしまうのだろう。 
   
  
現在日本には20箇所ぐらいの古代山城が確認されています。 その多くは北九州にあるのですが山陽道や四国にもありました。

ここ岡山県では総社市の鬼ノ城と大廻・小廻山城、兵庫県では城山城が古代山城といわれています。 でも何故この場所に古代山城が造られたのか、考えてみるのも楽しいものです。

紀元前221年、秦の始皇帝が中国を統一し、5000kmにもおよぶ万里の長城を築きました。 秦はわずか28年で終わります。

のち200年間は劉邦の漢の国、そして新・後漢を経て、曹繰・劉備・孫権・諸葛孔明の三国(魏・呉・蜀)と続きます。

その後は司馬氏の晋、戦乱の南北朝時代を経て589年に隋が始まります。 この時代の607年、小野妹子が遣隋使として大陸に渡りました。

  618年、隋が滅びると李淵(りえん)を初代皇帝とする唐の時代になり、そして朝鮮半島の高句麗・百済・新羅に影響を及ぼし始めるのです。

645年、倭国では中臣鎌足と中大兄皇子が蘇我蝦夷・入鹿を滅ぼし、「大化の改新」が始ります。

660年、新羅の武烈(ぶれつ)王は唐と同盟を結んで百済を攻め、百済の義慈王(ぎじおう)を滅すのです。

百済が滅亡していく中で、豪族の鬼室福信(きしつふくしん)は百済王朝を再建させるために倭国に救援を求めてきました

その内容は、倭国にいた王子(豊璋:ほうしょう)を国王に即位させる為の百済への送還、もう一つは倭国から百済への援軍要請でした。

これに対して,斉明天皇をはじめ中大兄皇子、大海人皇子、大田皇女、額田王、中臣鎌足らは飛鳥から筑紫(九州)へと出発するのです。

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