明見山城

岡山県岡山市三野本町

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37号線、「下市交差点」から27号線を西へ走ります。

旭川を越えてそのまま西岸を南へ走ると、標高60mの三野公園には明見山城(みょうけんやま)があります。

旭川の西岸、ここは須々木氏のお城。 二年前の暑い季節、旭川の東岸を歩いていたんだね。
   
   
旭川の西岸、北には船山城、川の東岸には龍之口城があります。

ここは三野公園、船山城主・須々木氏の支城だよ。
 
  
三野公園へ行くため、南の半田山植物園に駐車したよ。

歩いて10分ぐらい、南の水路から明見山城を見ている。

ここを走るJR津山線、車で渡るのは難しいよ。
    
  
 2年前に買った岡山の地図、そこには載っていない三野公園前の橋の交差点から登るよ。

つづら折れの道、何回も折れると疲れた頃に山頂、広いよ。

お城の姿は消えているのかな、「岡山県十勝地」の石碑から奥へ歩いてみる。
  
  
岡山県十勝地の意味はなんだろう、考えている間に反対側の天神社に着くよ。

石段を上る、金川城や龍之口城の話は二年前の夏。

100城の頃に行ったと思う、汗なのか涙なのか、石段降りると雫が落ちる。

懐かしさなのかな、岡山の夏、きっと汗なんだよ。 
  

   
船山城主・須々木豊前の子である四郎兵衛が守っていました。

明見山城の東に流れるのは旭川、その東岸には金川城主・松田氏の有力名主である、さっしょう氏の龍之口城があります。

さっしょう氏と須々木豊前行連は、松田氏の家臣でありながら仲が悪く、備前の宇喜多直家はそのことを知り策略を考えました。

直家の家臣・岡剛介は最初に船山城の須々木氏に奉公し、船山城から逃げる振りをして龍之口城に助けを求め、うまく龍之口城に入り込み、さっしょう元常の命を奪うのです。

永禄6年(1563)、毛利氏と結んだ備中の三村家親が東へ攻め、船山城を降伏させると、須々木氏は三村氏の配下となりました。

永禄10年(1567)、明禅寺城の合戦で直家が三村氏に勝利すると、須々木氏は直家の傘下に申し入れるのですが、直家はこれを認めず、領地を没収して廃城となるのです。

『参考文献を参照』

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