長良山城

岡山県総社市長良

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岡山自動車道、「岡山総社IC]で降りてから国道180号線を西へ1kmほど走ります。

北側にある「岡山県立大学」方向に200m進むと東側には標高40mの山があります。

この山頂には長良山城(ながらやま)があり、麓の石の鳥居が登城口になっています。
  
   
八幡神社の裏側です。 この城は北郭と南郭を持っています。

太平記の時代、神戸「湊川の合戦」で足利軍に敗れ命を絶った楠木正成と、つながりのある城跡なのです。

この石垣を見るのを忘れないでね。
「八幡神社」

ここは北郭で、南郭には「石鎚神社」があります。

しかし、完璧に掃除されています。 葉っぱ一枚も落ちていないぐらい。

この神殿の裏手から古代山城「鬼ノ城」が見えますよ。 なんか懐かしいよ。
 
  
この左の麓に石の鳥居があります。 見えている山が南郭のとこかな。

この位置から山頂を見ると石垣がよく見えますよ。

この川の石じゃないからね。 
  
  
「菊水の井戸」

「松井の井戸」「臼井の井戸」は総社三名水の一つです。

道に迷って、たまたまありました。

長良山城の少し北東の麓にも「井戸」らしきものがあったけど、あれは何だったのだろうか。 
   

   
建武3年(1336)、九州に落ちた足利尊氏は、九州で諸将を集めて体制を立て直し、陸路は弟・直義軍、海路を尊氏軍が東上、「兵庫の湊川」へと向かいました。

そして5月25日、「湊川の合戦」が始まるのです。

足利軍は足利尊氏、直義、斯波高経、高師直、高師泰、細川定禅、赤松則村(円心)ら。
天皇方は新田義貞、楠木正成、楠木正季、脇屋義助、大館氏明らです。

尊氏は兵庫和田岬の海側から、直義は陸上の須磨一ノ谷から攻撃し、不利とみた新田義貞は比叡山へ退くのです。

会下山(えげやま)に陣を置いていた楠木正成、正季軍は孤立無援となり、ついに正成はわずかに残った一族とともに死に場所を探すのです。

神戸の湊川神社に楠公戦没地があります。 正成は一族十六騎、郎党六十余人と共にこの周辺の地で自刃します。

正成の首は一度は六条河原に梟首されるのですが、その後、敵であった足利方によって河内の遺族のもとに届けられているのです。

  ここ長良山城の城主・世瀬川祐隣が細川定禅の筆事として、楠木正成の首級を千早城に持参した人なのです。

その子孫は「禰屋(ねや)」と改姓して賀陽郡服部郷を治めました。

永禄7年(1564)、備前天神山城主・浦上宗景が家臣・宇喜多直家に命じて龍之口城を攻めさせました。 この時、禰屋七郎兵衛と嫡男・与七郎ら備中の諸将は龍之口城を守ったのです。

この合戦で禰屋七郎兵衛は討死するのですが、弟・孫市郎は数十人を討ち取りました。

再び、直家による龍之口城合戦が起き、この時にも禰屋輝秀と与七郎は奮戦しているのです。

天正10年(1582)、秀吉の備中高松城攻めの前哨戦となった冠山城の合戦でも禰屋氏は城を守っていたのです。

『参考文献を参照』
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