中島城

岡山県岡山市中島

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岡山市街の東、百間川に架かる中島竹田橋を東へ渡ると、中島城(なかしま)がありました。

2009年2月、春は近い。 晴れの日岡山、もう一度来るからね。
   
   
何回来たんだろう、5回目かな。 分からなかった、街中を行ったり来たり。

百間川の南のスーパマーケットから歩いてきた、今日こそは見つけるよ。 川を渡る、すぐ道横にあったよ。
 
  
実際の城跡は、ここから150m西の百間川堤防の近くにあったそうだよ。

道路の新設でここに移されたんだ。

今日は曇り、晴れの日にもう一度来るよ、写真をきれいに写したいからね。
   

   
この城は、室町時代から戦国時代にかけて当中島地域一帯を支配していた中島氏の居城として、存在していました。

当時、この地域一帯は金川城主・松田氏の勢力下にあって、龍の口城の属城としての役割を果たしていたようです。

ところが、永禄十年(1567)、備中三村元親と備前宇喜多直家が激突して戦った明禅寺合戦の戦場となり、城は蹂躙(じゅうりん)され、城主中島大炊助は殺害されてしまいます。

幸い、ご子孫は宇喜多・池田両氏に仕えて、連綿として今日に至っておられます。

現在は当時を忍ぶ面影はないが、城跡には屋敷神様が祭られ、地元民には若宮様として敬愛されてきました。

実際の城跡は、現在地より約150m西の百間川堤防近くにありましたが、道路の新設に伴いこの地点に移設されました。

『現地案内を参照』

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