岡山県井原市西江原町 | |
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山陽自動車道「笠岡IC」から34号線を北へ走ります。 井原の市街から国道486号線を東へ、小田川を越え「西新町交差点」の次の道、神戸川の西岸を北へ入ると、西荏原陣屋(にしえばら)の碑がありました。 2009年1月、岡山の西は井原。 北条早雲が生まれた土地、鉄道もすごくいいんだよ。 |
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最初は、信長の側近・森欄丸からつながっている。 その後は、播州赤穂・浅野家断絶の後に入るんだよ。 「一橋府江原役所跡」とある、森氏が赤穂へ移った後、徳川一橋家が支配していたんだね。 |
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「興譲館(こうじょうかん)」 碑がある川を北へ、すぐ西には稲荷神社、森家時代からの鬼門封じと云われている。 西にある学校、代官所が設立したんだ、移築門かな。 北条早雲の高越山、車両が一つ、東へ走る。 井原鉄道がいいという、線路と平行に走る道、走ってみようかな。 |
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慶長8年(1603)、森蘭丸の弟・忠政が美作に移り、津山城を築きます。 忠政の実子は、早世したため、忠政の外孫である長継が養子となりました。 長継の嫡男・忠継は早世、忠継の子・森長成は幼いため、五男・長武に家督と継いで隠居をします。 貞享3年(1686)、長武は長成に家督を譲り隠居、しかし長成の子が早世したため、長継は九男・関衆利(弟関衆之の養子になっていた)を後継として幕府に認めてもらうための江戸へ向かう途中、衆利は伊勢で病気になりました。 幕府は津山の領地を召し上げ、津山藩森氏は改易となるのです。 しかし、幕府は長継に新たに、備中西江原藩を与え、森氏の存続を許したのが西荏原陣屋なのです。 『参考文献を参照』 |
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