下津井古城

岡山県倉敷市下津井

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瀬戸自動車道「児島IC」から県道21号線で児島半島の最南端、下津井港まで走ります。

その背後の丘陵には下津井城、港の丘には下津井古城(しもついこじょう)がありました。

2008年12月、もう師走。 瀬戸の海、今年最後の青色、きれいな光だよ。
    
    
祇園神社境内の北側、石段を降りようとした時に見える。

下津井城は宇喜多氏時代からのお城、古城は源平時代と云われているよ。
 
   
宇喜多直家、備前の覇者だね。

直家の子・秀家は下津井古城の跡にお城を築きます。

でも関ケ原の後、八丈島で約50年を過ごし、83歳で世を去るんだよ。

もう12月、いつの季節、似合うは瀬戸の色。

きれいな光、今年最後の海なのかな。
   

  
『源平の頃』

「保元の乱」「平治の乱」で武門の棟梁になった平清盛は、朝廷の官位を独占するようになり、娘・徳子が高倉天皇の皇子・安徳天皇を生んだ頃には栄華を極めていました。

しかし貴族たちの反感をかい、後白河天皇の皇子・以仁王が諸国の源氏に打倒平氏を呼びかけました。 そして関東の源頼朝、長野木曽の源義仲、山梨では甲斐源氏の武田信義らが挙兵するのです。

寿永2年(1183)、各地で打撃を受けた平家一門は京都の六波羅に火をかけ、幼い安徳天皇と三種の神器を奉じて西海へと走りました。

そして源平の争いは「兵庫播磨・室山合戦」「岡山備中・水島合戦」と続き、翌年には平教盛とその子・通盛、教経がここ下津井で四国の反平氏勢力と一戦をまじえたのです。

その後、屋島で勢力を回復した平氏は「神戸・一の谷合戦」の運命へと向うのです。

『参考文献を参照』

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