洲浜城

岡山県岡山市南区妹尾

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JR宇野線(瀬戸大橋線)「妹尾駅」から北の街中へ、盛隆寺(じょうりゅうじ)を過ぎて北側の高台へ上ると源平時代の洲浜城(すはま)がありました。
  
平安末期、橘兼門が瀬尾ノ郷(妹尾・高雄・山田・妹尾崎・大内田)を開発し、妹尾氏と名乗りました。

兼康の母は瀬尾兼門の妹・保子で、鳥羽上皇の宮女として仕え、保元・平治の乱の時、上皇の御子を宿していたため許されました。

のち平忠盛(清盛の父)に預けられ、上皇の御子を産んだのが妹尾太郎兼康で、十六歳で妹尾に入り、築いてのが洲浜城です。
  
妹尾太郎兼康公は、平清盛の信頼を受け、寿永2年10月12日、木曽義仲の軍勢と、笹迫(ささがせ)や板倉城で戦い、討ち死にしたと云われています。

盛隆寺の境内には妹尾太郎兼康頌徳碑の石碑があります。

裏手には宇喜多直家の家臣であった戸川達安(みちやす)の戸川家のお墓、少し東には「戸川陣屋井戸」もあるから寄ってみてね。
    

    
妹尾は平家の大将の一人「妹尾(瀬尾とも言う)太郎兼康公(1126-83)の領地であったと云われています。

現在城跡と思われるところは、地元では「稲荷山」と呼んでおり、お稲荷様が祀られていました。

このあたりは、広々とした平野が続き、穀倉地帯をなしていますが、かつては「吉備の穴海」と言う干潟で漁業が盛んに行われていました。

『現地案内を参照』

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