岡山県浅口郡里庄町里見 | |
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山陽自動車道、「鴨方IC」を降りてから県道64号線を南へ、鴨方町で国道2号線を西へと走ります。 黒庄町に入り、「新庄交差点」から南へ周回するように北側へ抜け、里庄町役場を過ぎて北の「里庄町野球場」を目指します。 野球場から更に「里庄美しい森」の石槌神社を目指して登ると、神社前の駐車場から少し登った所の標高210m山頂に鳶尾城(とびお)があります。 |
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備中の山城、でも岡山の西まで来ると、名前は大内氏や毛利氏と関係する人が出てくるね。 夏に鳶尾城へ行った、ページを書いているのは10月の台風の日です。 |
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「井楼」 石槌神社の所にも大きな駐車場があるけど、更に山頂まで来れるよ。 井楼が有るところに「お城の説明文」の石碑がある。 ちょっと難しいけど、じっくりと最後まで読んでね。 その向こうの建物は銀寿観世音菩薩の像、知らずに出合うとびっくりするよ。 |
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「本丸」 井楼とは反対側の山頂が本丸なのかな。 小屋がある所から登ると、掘みたいな大きな溝がある。 しばらくして石柱が、これは何かと思う間に山頂へ着く。 この辺りの石は古墳かもと思ってしまう大きさと色艶だよ。 |
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「雨乞い」 そして山頂、こんなに高い所なんだよ。 やっぱり写真は秋か冬だと思ってた、でも台風でなかなか来れないよ。 別名「大原竜王」とも言われ、干ばつの年には地元の農民たちが城跡に集まり、連日連夜、薪を焚きながら雨乞いを行いました。 2004年、今年は台風が毎週のように来る、そして水害による農作物の被害が出ている。 温暖化、知らず知らずの内に自然を変えているのかな。 近い未来、連日連夜の雨乞いでは済まないのかも。 |
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虚空蔵山地東南の支脈にある戦国時代の古城跡で、備中府誌によれば、当城の開基は大内左京大夫義隆、城代として井上伯耆守春忠在城す、と記されています。 城跡は北から本丸、二の丸、三の丸と続き、南に大手を配し、北を搦手とし、特に南は展望が開け茶臼山、青佐山ともに領国の境の城として絶好の場所でありました。 天文年中、大内義隆は毛利元就など安芸、備後の国侍に備後南部への進攻を命じているが、毛利元就は大内氏滅亡後も、積極的に備中進出を図り毛利氏は次第に優位を確立しています。 その後、毛利氏が備中の地侍を動員して九州に出陣した留守中に、宇喜多直家や尼子勝久の軍勢が備中に進入を図ったが、引き返して来た毛利勢に撃退されています。 なお、井上氏は毛利氏の山陽方面での作戦を主に担当した小早川隆景の有力な武将であり、尼子、大友氏との戦いや石山本願寺への兵糧搬入などに功績にあった人物です。 また別名「大原竜王」とも言われ、のちに干魃の年には地元の農民たちがこの城跡に集まり、連日連夜あかあかと薪を焚きながら雨乞いを行い、農作物の被害を最小限に食い止めたと云れています。 『現地案内を参照』 |
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