岡山県瀬戸内市邑久町豊原字大橋 | |
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岡山ブルーライン、邑久IC(おく)で降ります。 竹久夢ニの生家を通りすぎ、県道224号線を西へ2.5km、尾張交差点を南へ2km、ようやく正面には砥石山が見えてきます。 この標高100m山頂に砥石城(といし)があります。 |
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ここの縄張りは、五連郭で、西隣の峰には四郭の出城があります。つまり二つの連郭式が二組で一つの城郭を構成しています。 | |
「本丸にある祠(ほこら)」 少し眺めてから何も考えずに下りてしまいました。 肝心の石垣とか遺構を見るのを忘れてしまったのです。 今日は春のうららかな日。 出城と峰続きにある島村氏の高取山城は、しっとりとした紅葉の季節に出直すことにします。 (もっと下調べをしておくべきだったとの後悔を打ち消す) |
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「千町平野と吉井川」 城跡から北側には、川と田園が映し出されます。 遠くから兵たちが向かってきそうです。 |
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北側の登山口から東へ回ると、別の登山口があります。 ここにあった石碑です。 今回はこちらの登山口から入りました。 |
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いつもは地道で探索するのですが、この場面を見たくて乗りました。 スケッチブック代わりに目に焼き付けておこう、そんな瞬間的場面です。 |
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「竹久夢二の生家」 大正ロマンを代表し、漂泊と叙情の画家詩人といわれた竹久夢二は、明治17年に生まれ16歳までこの地で過ごしています。 生家は左にあるのですが、それは見てのお楽しみにしておきますね。 夢二ふるさと遊歩道の見所 「古武弥四郎の碑」、「静円寺」、「高星神社」 などがあるので、何も考えることなく、ゆっくりと歩いて見てください。 |
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砥石城は、戦国時代の宇喜多氏ゆかりの山城です。 城の経緯や築城期は定かではありませんが、江戸時代の記録『備前軍記』には、大永年間(1521-1528)、浦上村宗の家臣宇喜多和泉守能家が築城したと書かれています。 宇喜多久家の子能家は、邑久郡に住み、備前守護代浦上村宗に、のち二男浦上宗景につかえました。 天文三年(1534)六月、高取山城主島村豊後守の夜討ちによって城主能家は自害し落城します。 主君浦上宗景はこの城を島村氏には与えず、浮田大和守に与えました。 天文十六年(1547)、乙子城主となった能家の孫・宇喜多直家は、主君宗景の軍勢と合せて、備中三村氏に内通した砥石城主浮田大和守を攻め落とし、城主に舎弟の浮田春家を任じました。 その後、直家は主君浦上氏を倒し、戦国大名として岡山城主になります。 春家は、直家の居城であった亀山城(沼城)の城主となり、部将に砥石城を守らせています。 『現地案内を参照』 |
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