岡山県岡山市矢坂 | |
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山陽自動車道、「岡山IC]を降りて国道53号線を南へ走り、2kmほどで西側の180号線に入ります。 「矢坂大橋」から矢坂の街へと入り、中国電力変電所を目指します。 この裏手に小さい祠があり、そこが西側からの登城口となっています。 岡山市街地の西にある標高132m矢坂山の山頂に富山城(とみやま)があります。 |
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11月の連休。 なぜか、一日目は「六甲全山縦走大会」に参加する友達3人と姫路の書写山に登った。 書写は赤松氏の坂本城があるところ。 お城の話を聞く前に、二人はすでに走って登っている。 ついて走ったけど、もうへなへな。 二日目、筋肉痛でも岡山に来た。 やっぱり一人でゆっくりとしたいよね。 ちなみに六甲山縦走とは、西は須磨から東は宝塚まで約56kmだよ、信じられないよね。 |
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「花崗岩の採掘」 富山城は西側から登るのですが、車で登山口を捜していると、この場所に来てしまいました。 休みだから、誰もいないみたい。 車を置いて、近づいてみます。 すごいね、石は爆弾で吹き飛ばして採るのかな。 さてロープは持っているけど、どうやって登るのだろう。 |
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突然、サイレンが鳴った。 「ウーーウーー」と。 やばい、爆弾の合図だ、それで誰もいないのか。 走って逃げたよ、車に飛び乗った。 しかし、何事も起こらなかった。 時計は11時ジャスト。 そうか、このあたりの11時の時報なんだよ、きっと。 |
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山の左から登れそうだったので、車で行ってみます。 やさしそうな方が一人、何やら機械を磨いてるよ。 「本当は西から登るのだけど、12時までなら門を開けておくから」とこの登山口を教えていただいた。 あと50分か、とにかく走ろう。 |
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尾根まで来ると大きな岩があります。 「すべり山」の標識があったけど、急いでいるから走ったよ。 |
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どこかに夫婦岩があるはず、どんな形の岩なのか気にもなるが、とにかく急ごう。 | |
なに、あそこの山頂か。 背中のリュックにつけた「カウベル(鈴)」がチリンチリンと激しく鳴ってる。 六甲山に比べたら、たやすいものである。 |
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おっと、ここは危ない。 ちょっと滑ってみたい気もしたが時間が無いので、本丸へ急ぐことにした。 普通ならジンジンくるのだが、そんな暇もない。 |
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着いた、本丸跡。 道を教えてくれた方が言ってた。 「子供の頃に、焼麦が落ちていた」と。 新庄山城でも「焼麦」が出てきたけど、実際は何やろね。 餅みたいな物かな、見てみたいよね。 |
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杖をついたおじいさんが一人、見つめてました。 「岡山も変わったなぁ」と。 「変わりましたよね」と相づちを打って、さあ帰るよ。 もう道は完璧。 鈴を軽快に鳴らしながら独走態勢で走ります。 「チリンチリン・・」 |
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この帰る方向は、西から登った人用だよ。 左の方へダッシュ。 夫婦岩あたりで、年配の夫婦が汗かいて座り込んでるよ。 「犬が追いかけてきたと思って走って逃げてた」と。 チリンチリン・・。 ゆっくりと歩いても間に合ったよ、おじさんありがと。 でも六甲山はやめとこ、疲れたよ。 |
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応仁元年(1467)、当時の備前守護・山名教之は京都に援軍として上洛し、そのすきに赤松政則は山名氏の本拠・福岡城(福岡千軒)を攻め取りました。(第一次福岡合戦) そして、備前・美作には重臣・浦上則宗を守護代として三石城に置き、赤松方に付いた松田元隆も富山城を本拠とします。 しかし元隆の子・元成は赤松氏や浦上氏と対立、文明12年(1480)には御津郡の金川城に本拠を移し、富山城には弟・元親が守りました。 文明十五年(1483)、赤松政則は強大な力を持ってきた松田氏を滅ぼそうと浦上則国に追討を命じました。 松田元成も備後の山名俊豊の加勢を得て、またもや福岡城で戦い、富山城の元親は死没し、その子・親承が跡を継ぎ。(第二次福岡合戦) 永禄11年(1568)、宇喜多直家は、松田元輝・元賢が守る金川城を落すのです。 この時、富山城の松田盛明(元輝の子)も金川城に籠城していたのですが、備中へと敗走しています。 |
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直家は弟・浮田忠家を富山城に置きました。 子・詮家は関ヶ原では徳川方として参戦、この詮家がのちの津和野城主・坂崎出羽守直盛なのです。 元和元年(1615)、大坂夏の陣で、坂崎出羽守は炎上する大坂城内から家康の孫・千姫を助け出しました。 これは千姫を与えるという家康の言葉を信じたからです。 ところが千姫は本多忠刻(ただとき)のもとに嫁ぎ、のち姫路城へ移ったのです。 これを知った出羽守は千姫の輿を奪い取り、刺し違えようとまで思いつめました。 千姫の父・徳川秀忠は幕府への反逆として断固たる処置を命じます。 老中評議の結果、坂崎出羽守の自決で決着させようとしたのですが、出羽守はこれを聞き入れず、結局坂崎家の家老が出羽守を殺害しその首を幕府に差し出したのです。 坂崎家は津和野城主となってわずか16年でお家断絶となるのです。 姫路城西の丸の千姫の話、ここでは少し哀しいよね。 『参考文献を参照』 |
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