常山城

岡山県玉野市字藤木・岡山市南区灘崎町

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岡山バイパス、「青江交差点」から30号線を南下し、玉野市に入るとすぐJR常山駅があります。

その南には標高307m山頂に常山城(つねやま)があります。

2003年8月、夜空にめぐる遠き星、ただ時がめぐってきただけなのに、哀しき運命を花の言葉で語り続けているのです。
   
   
「腹切岩に建つ城主・上野高徳の碑」

夏も終わりかなと思わせた雨の8月、蝉の羽が小枝に絡まる音は暑さの繰り返しを忘れていなかったようです。 
  
  
ここから歩いて登れるのですが、車でも大丈夫です。 ただ道は狭く、たしか3kmぐらいあったと思います。

途中、前から車が来ないのを祈っている時に限って来るものです。 200mほどバックして少し広いところで休憩、そこには白いユリが咲いていました。
   
  
 「三十四基の女軍の墓」

夏の夜、東をみれば火星が大きく輝いています。 この大接近は紀元前5万年以来だそうです。

それに比べてたったの500年前のこと、夫と一族の最後の時が刻々と近づいてくるのです。

5万年と500年、時のめぐりは不思議なものです。 今、生きている人は5万年前とめぐり合い、500年前の人は哀しき時にめぐり合っているのですから。
  
  
 「本丸跡の花」

上野高徳の碑があるところ一面に咲いていますが、何という花なんでしょう。

「ベロニカ」の花言葉は「女性の真心と堅固」らしい。 たぶんベロニカかな、そうであってほしい。
  
 
「千人岩のユリ」

毛利勢が潜んでいたと伝えられる千人岩です。

花の言葉は「清らかで汚れなき」、30本の白いユリが岩をにらんでいるようです。 
 
  
「戸川秀安の墓」

登山口の麓にあります。戸川秀安の法名は幽林といいます。

上野氏の後は宇喜多直家の家臣・戸川秀安が常山城を守り、宇喜多直家が織田方につき毛利氏から離れていった時も、毛利軍の攻撃から守りました。

夏の夜空の不思議さは2287年にめぐって来るらしい。 でもそれ以上に哀しき物語は二度とめぐってほしくはない。
   

   
「児島富士」と呼ばれるこの常山(標高307m)の山頂一帯に、「常山城跡」はあります。

城郭は山頂の本丸を中心に合計十四の曲輪で構成される、「連郭式山城」です。

築城の時期は戦国時代の初めと推定され、上野氏・戸川氏・伊岐氏等の城主が知られています。

女軍の戦いは天正三年(1575)のことで、この戦いで当時の城主上野氏は毛利氏によって滅ぼされました。

その後、常山城は毛利氏の支配下に置かれましたが、毛利氏の築城技術と言われる竪掘や堀切の遺構は発見されていません。

恐らく毛利氏以降城主となった宇喜多氏家老の戸川氏の手により、現存する常山城が整備されたと思われます。

常山城は児島半島が島であった時期には、備前本土との海峡を抑える軍事家の重要な拠点でしたが、やがて瀬戸内海の航路が重視されるようになり、慶長八年(1603)に廃城となりました。

城は解体され、廃材は一部は新たな監視の拠点となった下津井城の修理に利用されたと伝えられています。

『現地案内を参照』

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