芥川城

大阪府高槻市殿町、芥川

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名神高速、「茨木IC」から国道171号線を京都方面へ走ります。

国道が直角に曲がる手前には「芥川橋」、まっすぐJR「高槻駅」方面には芥川宿、その北側には芥川城(あくたがわ)がありました。
    
   
北の原には能勢頼則や三好長慶の芥川山城がある。 ここは南の国道171号線近く、芥川氏のお城だね。

すぐに分かると思った、JTの南西の角、石碑が見えたから近づくと「小学校跡地の石碑」。

そこを少し北へ、少し西にあったよ。
   
   
「芥川仇討の辻」

江戸時代の初め、石見国の城下町で二人の若侍が同藩の美しい稚児の争奪から、果し合をしました。

一人の侍は、もう一人の藩士を江戸表で命を奪ったのです。

その藩士の子は、2年半、侍を求め諸国を探し、ついに芥川宿の旅籠に入るのを見つけました。

仇を討たれた侍の懐中には一通の書状、そこには討たれて当然であり、討った方に咎(とがめ)はないと書いてありました。
   
    
「芥川一里塚」

西国街道の宿場町、芥川宿の東口にある一里塚だよ。

ここから西400mの芥川橋までが宿場、幕末には長州に逃れる三条実美も泊まったらしい。

お昼は「WBC野球」で興奮、夜は大河のナレーションで滋賀に行きたくなった。

そして「愛と死を見つめて」、涙ボロボロ。 小学生の夏休み、お昼のクイズ番組の後、見ていた頃を思い出したよ。  
     

    
弘安七年(1284)、僧叡尊思円を戒師として出家した芥川(河)右馬允平影信という人がいました。

鎌倉時代の後期、この芥川宿を本拠とした芥川氏は、鎌倉御家人として勢力を伸ばしてきました。

しかし、応仁・文明の乱で、この北摂を支配していた芥川氏、三宅氏、吹田氏、茨木氏は東軍に付き、のち西軍の大内政弘に属するのですが、それからは名が消えているのです。

『参考文献を参照』

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