麻田陣屋

大阪府豊中市蛍池中町

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中国自動車道、「中国豊中IC」を出てから、少し西側の国道176号を南へ走ります。

阪急宝塚線の「蛍池駅」のすぐ西側には麻田陣屋(あさだ)があります。

2005年8月の最後。 慣れない風景は大阪沿線、歩いて歩いて秋の頃、いくつ城跡に行けるかな。
  
  
徳川幕府、外様大名の青木氏が藩主です。

明治の廃藩置県で麻田県庁となり、のち陣屋門は春日町の徳恩寺に移され、今は蛍池公民館になっています。

当時の大きさは南北200m、東西150mで周囲に堀がありました、しかし大きな石碑にびっくりしたよ。
  
  
「高校野球発祥の地」

大正4年の第1回、2回の大会が行われたのが、ここ豊中グランドです。

最初は10校、でも参加高校が増えたから3回から9回大会までは西宮の鳴尾球場、その後観客が増えたから甲子園に移ったんだよ。

きっと多くの人も知らなかったよね、当時の志した気持ちは純粋な体力と精神力アップのはずだよね。
   
     
発祥の地は、陣屋のある「蛍池駅」から南の「豊中駅」方向に歩いていく。

何人にも聞いては玉井町3丁目、ほとんど豊中駅の近くだよ。

もうクタクタ、豊中駅から電車で戻ろうと思ったけど、こんな高い所は無理だよ。 歩いて戻った、でも勘違いしてたような気もする。

大阪の城、この秋には沢山の沿線を歩いてみるよ。 
 

   
藩主を青木氏とする麻田藩は、石高一万石余りの外様大名でした。

大阪の陣で、初代藩主は豊臣方の武将でしたが、陣後、家康に召され、ここ豊中市蛍池に本拠の陣屋を構えました。 以後一貫して当地に在続した、豊中にゆかりの深い大名家になりました。

当時のことを記した絵図によると、陣屋は方形で周囲に濠をめぐらせ、面積は五反歩余りあったと言われています。

内部には大名の居住する御殿のほか、会議所・柔剣道場などがあり、周辺には家臣の邸宅がならんでいました。

文久三年(1863)の記録によれば、家臣の数は百十人余りあったものと記されています。

『現地案内を参照』

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