大阪府堺市北区浅香山町 | |
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湾岸線、「大浜IC」から東の360号線へ、「仁徳天皇陵」の北から2号線を東へ走り、「黒土南交差点」を北へ曲がります。 JR阪和線「浅香駅」南の三叉路、少し東に行くと北側には浅香城(あさか)があります。 2006年1月は大阪のお城。 北には奈良から続く大和川、古代からの探索、飛鳥へも行きたいね。 |
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浅香山稲荷神社のところがお城です。 古代、聖徳太子が訪れた時、老翁が「昔よりここには香木が埋まっている」と言いました。 太子は不思議に思い、掘らせると朽木が出て、これを焼かせたところ優雅な香りがたなびきました。 太子が「浅からぬ香り」と仰せられたので、浅香の浦と呼ばれ、香木で老翁の像を刻み祀られたのがこの神社です。 |
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「楠姫大神」 少しどきっとした、大きな木だよ。 昔、旧大和川の水害から守るため、流れを変える工事を始めたのですが、この地の狐塚の所で、どうしても工事がすすみません。 前日掘った所は、翌日には元に戻っているのです。 結局、狐塚を避け工事は完成、その後、神殿を建立したのがこの神社です。 |
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天智天皇の臣・藤原鎌足の次男・不比等、その次男が藤原北家の祖・藤原房前(万葉では藤原北卿)です。 藤原房前の五男が藤原魚名(ふじわらのうおな)、次男・永手、三男・真楯や豊成とともに道鏡を排除した人です。 その藤原魚名を祖とする浅香氏がここを居城としました。 正平年間(1346-69)、浅香宗勝は南朝方として忠節をつくし、その子孫が代々と城を守るのですが、文亀元年(1501)、落城しています。(詳細は不明だけど、細川政元や三人の養子、澄之・高国・澄元の争いと思われる) 天正年間(1573-91)、秀吉が四国征伐のために堺に在陣した時、浅香重宗の長男・宗胤が協力、この浅香山は先祖の旧領地であることを進言すると、城跡一帯を賜りました。 大阪城の落城後も松平忠明からこの地の所有を許され、浅香氏代々が守りました。 『参考文献を参照』 |
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