榎並城

大阪府大阪市城東区野江

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JR大阪駅から環状線で東の京橋駅、京阪電車に乗り換えて次の野江駅で降ります。

(大阪駅から地下鉄谷町線で東へ、「野江内代駅」で降りた方が早いかな。)

500mほど西に歩くと大きな交差点、東側の路横には野江水神社、ここが榎並城(えなみ)の跡と云われています。
  
  
野江4丁目の大きな交差点、南へまっすぐ行くと、大阪城がある、石山本願寺だね。

ここは昔、淀川がよく決壊し水害にあった所です。

水波女大神(みずはめのおおみかみ)が祭神、三好政長が「水神社」を祀ったのが野江水神社なんだね。
  
  
その後、榎並城は「石山合戦」の中、本願寺の51の支城の1つとも考えられています。

51の支城、いったいどこにあったのかな、数字が出てくるとまた夢中になってしまいそうだよ。
   

   
応安二年(1369)、南朝方である楠木正成の三男・正儀(まさのり)が、細川頼之の仲介により足利義満に降参したことが、楠木氏一族の反感をかい、正儀は天王寺の陣から退き、この榎並に陣を構えています。

享禄五年(1532)、細川晴元と三好政長が差し向けた本願寺証如光教と木沢長政の軍により、三好長慶の父・元長は堺で敗れ、顕本寺で自害しました。

この時、長慶は幼少のため、晴元に付き政長が援けていたのですが、長慶の勢力が増大すると、政長と対立するのです。

天文十七年(1548)、政長が榎並城を築き、子・政勝に守らせていましたが、長慶は弟・十河一存らに榎並城を攻めさせました。

この時、政長は淀川の北岸にある江口城に入りました。

しかし、長慶と一存は江口城を攻め落とし、政長は討死、政勝も榎並城を捨てて瓦林城に逃れ、榎並城は廃城になるのです。(江口合戦)

『参考文献を参照』

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