東村砦

大阪府堺市北区百舌鳥梅町

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湾岸線、堺の「大浜IC」から東の360号線へ、「中百舌鳥5南交差点」の西側にある住宅街には東村砦(ひがしむら)があります。

2006年1月は大阪のお城。 古代からの探索も終わりに近づいた、大きな古墳を見て帰ろうかな。
  
  
ここは定の山古墳(じょうのやま)、今では「城の山公園」だよ。

昭和30年代までは、周囲に濠の跡もあったらしい。

ここから西500mには西村砦、そこも古墳のお城、でも分からなかったよ。
  
  
「百舌鳥八幡宮(もず)」

東村砦から、西の「百舌鳥駅」に行く途中だよ。

神功皇后が皇子(のちの応神天皇)とともに西征伐からの帰り、この地で永遠に万人(もず)が泰平でありますようにと祈りました。

それからこの地は「万代(もず)」と名付けられたそうです。
   
   
「高林家住宅」

神社から西の197号線を越えて少し中だよ。

永禄の頃、林宗俊が武士を捨てて帰農し、名を高林と改めて定住しました。

現在は寛政時代の建物だそうです、中の見学はできたのかな。 
   
   
「仁徳陵古墳」

ついに来ました、十六代・仁徳天皇の古墳。

日本で最大、歴史の本ではいつも見ていた、あまりの大きさにびっくり、写真に入らないよ。

計算では、一日2000人が動員されたとして15年かかる。

古代を語る、でも語りつくせないのが古代への道かな。 
 

   
細川勝元の子・政元が三人の養子(澄之・高国・澄元)を迎えてから、細川家内の争いが始まりました。

政元の跡を澄之が継ぐと、澄元が澄之を倒し、次に高国が澄元を近江に追い管領となりました。

永正八年(1511)、この細川家の管領争いの時、澄元や三好之長が立て籠もった深井城(堺市深井)を攻めのために、高国が拠ったお城と云われています。

『参考文献を参照』

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