大阪府豊中市浜 | |
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名神高速、「豊中IC」から東の国道176号線へ走ります。 高速の高架と交差、「稲津町交差点」で東の国道479号線へ、天竺川を越えると高架下には、飯野藩浜屋敷(いいのはんはまやしき)の碑があります。 2006年3月、日本全国湧いたワールドベースボール。 ここは大阪、高架の下でヒョウも舞ってたよ。 |
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保科氏は武田信玄の家臣、信濃高遠城主だった。 江戸幕府の組織に「大坂城代」がある、西国諸藩の監視をしていたんだね。 その配下には、「京橋口」と「玉造口」に定番が置かれ、保科氏は京橋口の任務に勤めていたんだよ。 |
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神戸空港から東京国際空港、東京湾をアクアラインで渡れば千葉県の飯野藩、3時間ぐらいで行けるのかな。 長いこと日本に住んでいるけど、行ったことがない県が沢山あるよ。 2時間かけて会社に通う毎日、定年になって、年金もらって、燃費の良い中古車買って、全国のお城を見たいなぁ。 |
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信濃国高遠城主・保科正則の子には正俊がいます。 正俊は武田信玄に降伏し、その家臣となり信濃先方衆(120騎持)の一人として活躍しています。 正俊の子・正直も武田氏に仕えていたのですが、天正十年(1582)に武田氏が滅亡すると、徳川家康の家臣になりました。 正直の子には正光・正貞がいて、正光は信濃国高遠藩の初代藩主となりました。 慶長二十年(1615)、正貞は「大坂夏の陣」で、徳川軍・本多忠朝の陣に属して天王寺表で功績を挙げたのですが、兄・正光が徳川秀忠の側室の子・正之を養子に迎えると、正貞を廃して、次の藩主にさせるのです。 正貞は保科家を去り、桑名藩・松平定勝に身を寄せ、のち幕府の臣となり大坂城や二条城の在番を勤めていました。 慶安元年(1648)、大坂定番となり有馬郡・河辺郡・能勢郡・豊嶋郡が与えられ、飯野藩(千葉県富津市下飯野)を設立させ、この地に代官所を置いて浜屋敷と称したのです。 『参考文献を参照』 |
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