稲 城

大阪府八尾市南木ノ本

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近畿自動車、「八尾IC」から南の国道25号線を東に走ります。

「太子堂交差点」近くには大聖将軍寺、南に歩けば物部氏を祀る三つの樟本神社。

一番南の神社を南へ歩くと光蓮寺、そこが稲城(いなき)と云われています。

2006年1月、501城目は大阪のお城。 古代からのお城、ゆっくり少しづつ探索してみるよ。
  
  
光蓮寺の門前にある「稲城址」の碑、日本城郭史上、最古のお城の一つです。

物部守屋は蘇我馬子と聖徳太子らに攻められた時、この地に稲城を築きました。

守屋の稲城は、衣摺稲城(きずり:東大坂市衣摺)、渋川稲城(八尾市跡部)、この稲城の三ヶ所があります。
 
  
「 大聖将軍寺の境内」です。

聖徳太子が物部守屋を討つ時、四天王に祈願し、勝利したのでこのお寺を建てました。

太子が絶体絶命の時、真二つに割れて太子を包み九死に一生を得たといわれる椋の樹です。
   
   
「守屋池」、同じ将軍寺にあります。

太子が刻んだ四天王の像は、蘇我馬子・秦河勝・迹見赤檮・小野妹子です。

その秦河勝が物部守屋の首を洗ったといわれる池です。
   
   
 「樟本神社(くすもと)」

この地には、3ヶ所の樟本神社があります。 3社とも物部氏の祖神・饒速日命(にぎはやひのみこと)を祀っています。

その内の一つにも守屋池がありました。 物部氏は朝廷の武事を司っていたから、のち武士を「もののふ」とも呼ぶんだね。
   
  
「鏑矢塚」

将軍寺の南、国道から少し中です。 迹見赤檮が守屋を射抜いた鏑矢が落ちた所、もう少し南へ行くと弓を埋めた「弓代塚」もあるよ。

守屋が放った矢は太子の衣をいくつもかすめたのですが、身には一傷も生じなかったために、衣摺と呼ばれています。

この戦いも「衣摺合戦」と云われているんだね。 
   
   
「物部守屋大連墳」

将軍寺から東へ少し、国道沿いにあります。 教科書には、用明二年(587) 蘇我馬子が物部守屋を滅ぼして朝廷の政権を独占した。

と、一文がある。

大阪の街、しばらくは古代のお城、その一文を探してみようかな。 
   

    
聖徳太子が物部守屋の館のあった阿都の桑市を攻めたとき、守屋は兵を集めて、この地に稲城を構えて抗戦したと云われています。

稲城は稲で囲った城とか、稲積みの城であったとか伝えられています。

『現地案内を参照』

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