地黄陣屋

大阪府豊能郡能勢町地黄

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中国自動車道、「中国池田IC」を出て北へ、国道173号で川西市を通り、477号線をひたすら北へ走ります。

大阪の能勢町に入り、「野間中交差点」を越えると、道路沿いには地黄陣屋(じおう)があります。

2005年12月。 紅葉と思っていたのに、真冬の寒さ。 秋はどこに行ったの、もう帰ったのかな。
   
    
国道沿いの中学校、一瞬「地黄城」の案内が見えたけど、通り過ぎると石垣が現れたよ。

摂津から丹波に通じる道、ここは能勢氏のお城です。
  
   
丹波の人が積んだ「印南積み」と云うらしいよ。
 陣屋というより、まさに城塞だよね。

考えていたけど、姫路から能勢町に行くには、北の篠山市からか、南の池田市のどちらがいいのかな。

西の三田からひょいひょいと、東へ抜ける道があるのかな。
  
   
「野間神社」

地黄陣屋からすぐ南西にある、織田信澄や塩川氏との抗争で、兵火となり、一時は島津氏が領有しています。

能勢頼次が復帰した時、神社には領民が集まり三日三晩祝杯をあげました。

能勢氏のこと、神社のこと、いっぱい書くことがある、でも今回は帰るね、早すぎる秋、もうすぐ年末だからね。 
   

    
長元年間(1028-36)、源頼光の子・頼国がこの地に入り能勢氏と名乗り、地黄陣屋のすぐ西、丸山城を築きました。

天正七年(1579)、信長が中国の毛利氏攻めを始めた頃、ここ北摂津の部将たちは信長に従うのですが、能勢頼道は応じませんでした。

頼道は塩川氏の山下城(兵庫県川西市)に招かれ、欺かれて命をとられるのです。

のち弟・頼次は妙見宮の為楽山大空寺の跡に城を築いて防備を固めました。

しかし、本能寺の後は秀吉に攻められ、関ケ原の合戦では軍功を挙げて、この地に築いたのが地黄城、のち地黄陣屋となりました。

『参考文献を参照』

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