椋橋城

大阪府豊中市庄本町

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名神高速、「豊中IC」から11号池田線の高架下を南へ走ります。

「庄本交差点」で152号線を西へ、阪急神戸線を越えると椋橋総社、そこが椋橋城(くらはし)の跡と云われています。
   
   
ここ椋橋荘、「承久の変」の発端の地だそうです。

後鳥羽上皇が愛した女性・亀菊がこの地を所領していた、でも幕府の御家人が奪ってしまうんだ。

上皇は執権・北条義時追討の令を出し、それが承久三年(1221)、鎌倉幕府を倒幕するための兵を挙げた事件へと発展するんだね。
 
  
「鯉伝説」

神社は素盞鳴之尊(すさのおのみこと)と神功皇后が祀られています。

素盞鳴之尊が鯉に乗って、この地に来た時、鯉が死んでしまうんだ。 そして埋めた所が拝殿前の鯉塚だそうです。

だからパンダの向こうで、鯉が泳いでいるだね。
    

    
応仁二年(1468)、西軍の大内政弘が椋橋城を攻撃し、これを奪うのですが、のち東軍が奪回しています。

文明二年(1470)、再び攻撃した時には東軍・摂津守護代の薬師寺与一の家臣・夜久主計允に防がれました。

天文三年(1534)、管領・細川晴元と三好長慶が不和となり、長慶は一向宗徒と共に椋橋城に籠ると、対する晴元方の伊丹国人衆は討って出たのですが、三好勢により敗れました。

同じ年、晴元方は再び攻撃するのですが、一向宗徒の前に有力部将六十人あまりを討たれ敗退しています。

その後、晴元は畠山氏家臣・木沢長政をつかわして長慶と和睦するのですが、一向宗徒は収まらず椋橋城に籠る長慶を信貴山城へ追い払うのです。

『参考文献を参照』

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