三津屋城

大阪府大阪市淀川区三津屋中

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名神高速、「豊中IC」から10号線で南へ走ります。

神崎川を渡り、「加島交差点」から東の41号線へ、阪急神戸線「神崎川駅」を目指します。

三津屋小学校の西側、光専寺が三津屋城(みつや)の跡と云われています。
   
   
別名は中島城、楠木正行の末裔・広治郎左衛門尉が楠木氏の菩提を弔うために、この地に来ました。

そして建てたのが光専寺となるのです。
 
  
この橋を渡ると「神崎川駅」、右手に三津屋城があるよ。

大阪は淀川、その西を流れるのが神崎川、兵庫との県境なんだね。

北へ上ると吹田市から安威川となる、その北が茨木市にある安威城へとつながっているんだ。

大阪の川、地名もかなり覚えたよ、誰に教えてあげようかな。
   

   
正平年間(1346-69)、楠木正成の長男・正行(まさつら)が築いています。

のち天文年間(1532-54)には、細川晴賢が居城しました。

三好元長は細川晴元の家臣として武功を挙げるのですが、主君・晴元により堺で討たれるのです。

天文十八年(1549)、元長の子・長慶は晴元と敵対し、細川晴賢・三好政長の兵が柴島城で陣を構えると、長慶は柴島城とともに三津屋城を攻めました。

細川晴賢らは榎並城へ逃走すると、長慶がこの三津屋城に入りました。

元亀年間(1570-72)、信長の三好三人衆(三好長逸・三好政康・岩成友通)攻めの時、廃城となるのです。

『参考文献を参照』

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