沢良宜城

大阪府茨木市美沢町

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名神高速、「吹田IC」から東へ走ります。

JR東海道線を越え、阪急京都線「南茨木駅」を越えると、400mほど南東には佐和良義神社があります。

神社の西側には公園、ここには沢良宜城(さわらぎ)の碑があります。
   
   
ここは美沢公園、西は住宅地、東側が神社だよ。

大阪万博の時、弥生時代の住居跡、銅鐸の鋳型や土器などが発見された。

サワラは銅器、ギは村をあらわすらしいよ。
 
  
「佐和良義神社」

この鳥居から奥へ続く道が乗馬訓練をする馬場といわれ、拝殿前にはお城の守護神である八幡神社が祀られています。

ここは迦具土神(かぐつちのかみ)を祀る神社、迦具は銅の古語らしい、やはり銅が関係してくる跡なんだね。
    

    
室町幕府の三代将軍・足利義満は、少年の義持に将軍職を譲って、五年目にあたる応永六年(1399)、堺港に進出してきた周防国の大内義弘を堺に攻めました。

その時、沢良宜城主・藤井三位は義持将軍から「御馬廻り免状」をもらい、家老職や郎党を従えて勇躍出陣したと伝えられています。

「御馬廻り衆」とは、いわば室町幕府直参の旗本で「応永記」は三千騎と記しています。

当時の沢良宜勢は、約三千坪の城(環濠の砦)を中心に、勝尾寺衆徒の中でも相当な力をもっていたようです。

この城(小字宮西)は、応仁の乱(1467-1477)の頃か、もう少し前の1400年代の早い時期になくなったと考えられています。

『現地案内を参照』

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