吹田城

大阪府吹田市西の庄町

 Top 大阪府のお城一覧
 
名神高速、「吹田IC」から14号線を南へ走ります。

JR吹田駅の西側にはビール工場、その敷地内には吹田城(すいた)があったと云われています。
   
   
吹田氏のお城、今ではすっかり道路と工場に変わっているね。

明治37年(1904)の日露戦争、その後30ぐらいの麦酒会社が、大日本麦酒会社・麒麟麦酒会社など4つになりました。

昭和24年、GHQの指示で大日本麦酒は、日本麦酒・朝日麦酒と分かれたのが、ここの麦酒会社だよね。
 
  
「泉殿神社(いずどの)」

お城跡の工場がある南側、吹田は佐井の清水・垂水の滝・泉殿の霊水が三名水だね。

清和天皇の時、霊泉が湧き出して、日照りを救った話がある。

千里丘陵から湧き出る地下水は、麦酒醸造に適していたんだ。

真夏の探索、汗かいた後の麦酒は美味しい、ほんと最高だよね。
   

   
永享年間(1429-41)、吹田重通が居城していました。

応仁元年(1467)、「応仁の乱」では三宅城・茨木城・芥川城とともに吹田城も東軍・細川勝元に属しています。

文明十四年(1482)、細川勝元の子・政元の時代には、吹田氏の一族・吹田時通が、守護代・薬師寺元長に付いていました。

大永六年(1526)、細川高国の家臣・香西元盛の夫人と、細川尹賢の夫人が口論となり、細川尹賢は香西元盛を殺害したのが発端で、高国と晴元との戦いが始まるのです。

高国方に属していた池田城を、晴元が討とうとした際、三宅氏や吹田氏も味方して、この吹田に陣を構えました。

しかし、高国方の伊勢神戸衆・伊丹衆らに攻められ、吹田氏は討死し、吹田城も廃城となるのです。

『参考文献を参照』

 Home Top 大阪府のお城一覧