大阪府高槻市城内町 | |
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名神高速道路、「茨城IC」を出てから国道171号を京都方面に走ります。 JR高槻駅から南へ行くと、高槻城跡(たかつき)があります。 高槻城はキリシタン大名・高山右近が本格的な城として築いたといわれています。 今では城跡公園となり、市民の憩いの場となっています。 昭和50年の調査では、本丸石垣の基礎部分を発掘し、今も地中に遺構が眠っているそうです。 |
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とてもきれいな公園です。 今は大城郭だった跡形はありません。 すべては地中の中だそうです。 |
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今日は元旦、京都の二条城へ向かった。 高速は当然、渋滞。 下道も大渋滞で、着いたのは「高槻城跡」の石碑。 もう一つ近代的な石碑がありました。 |
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高山右近の像。 すー、とした感じの人のイメージがよくわかります。 さらに東へ進む、この日は二条城は早く閉まってました。 |
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高槻城が記録に登場するのは、14世紀前半、入江左近将監春則が居城としてからです。 永禄十二年(1569)、和田惟政が城主となったが、元亀四年(1573)、その子惟長と対立した高山飛騨守・右近父子が和田氏を滅ぼして城主となりました。 キリシタンであった右近は、城内に天主教会堂を建てるなど布教に務め、天正九年(1581)には、イタリアの巡察師ヴァリニャーノを迎えて盛大な復活祭を催しています。 その後、豊臣氏、徳川氏の直轄となり、大坂夏の陣(1615)後、内藤・土岐・岡部など譜代大名が城主となりました。 慶安二年(1649)、永井直清が3万6千石をもって入城、明治時代までの十三代約230年にわたり、永井氏の藩政が続きます。 明治七年(1874)、鉄道施設に伴い高槻城は破却され、今では城跡公園となり、市民の憩いの場となっています。 今も地中に遺構が眠っていることが明らかになり、本敷地内の石組みは、天守台や本丸御門の基礎石(根石)であります。 『現地案内を参照』 |
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