若林環濠

大阪府松原市若林町

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近畿自動車の「松原IC」で降りて、1kmほど北へ戻ると大和川、近畿自動車道と西名阪自動車道の分岐点の東には若林環濠(わかばやし)があります。

2006年1月は大阪のお城。 細川氏、三好氏そして畠山氏、いよいよ河内の国も複雑な話に入っていくよ。
   
   
環濠集落とは、山城でない平地の集落に堀を巡らせ、民衆によって集落を防御することです。

松原市には他にも三宅環濠、田井城環濠、高見環濠、立部環濠がある。

ここは集落の東、今でも堀の跡が残っているよ
 
  
「若林神社」

長尾輝虎はのちの上杉謙信、養子・景勝は秀吉に付いて、五大老になりました。

景勝の子孫の方がこの地に移り住み「長尾の殿さん」と呼ばれ、町内の本了寺には長尾氏歴代のお墓があります。

と後で知った、本了寺は神社からすぐ南だよ、見たかったよね。
   

   
畠山氏は足利尊氏に従い、義深の頃に河内・泉和・越中・能登の守護となり、その子・基国の時に細川氏・斯波氏と並ぶ室町幕府三管領となりました。

基国・満家・持国と続くのですが、持国は子にめぐまれなかった為、弟の持富の子・政長を養子に迎えました。 しかし、のちに義就が生まれたのです。

持国は実の子・義就に家督を継がせようとした時、養子の政長がこれに対抗し細川勝元を頼りました。 一方、義就は山名宗全を頼ったのが、応仁の乱の始まりとも云われています。

政長の子・尚順は義就の子・義豊を滅ぼし、のち尚順・稙長・政国と続いています。

天文十五年(1546)、三好長慶は細川晴元の命令により堺へ出陣し、細川氏綱・畠山政国の軍勢に備え、翌年には高屋城主・政国と戦いました。

この時、細川晴元が陣を構えた所がこの若林と云われています。

『参考文献を参照』

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