大阪府八尾市本町 | |
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近畿自動車、「八尾IC」を降りて、東の近鉄「八尾駅」を目指します。 線路沿いの西、2つ目の信号を南へ入ると「歴史の道 河内街道」の道標、商店街の東には八尾神社、境内には八尾城(やお)の碑があります。 2006年1月は大阪のお城。 古代の物部氏や道鏡、南北朝の楠木氏、戦国時代は大阪夏の陣。 さすがに大阪、まさに激戦地だよね。 |
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八尾神社の境内にあるよ、神社は商店街の中にある。 南北朝時代、北朝方の八尾別当顕幸が領有していたんだ。 藤堂高虎や長宗我部盛親も出てくる、大阪、人が集まっているね。 |
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「八尾神社」 古代、この地を本拠とした物部氏の一族・粟栖連がその祖神を祀りました。 物部氏の一族で矢作りを行っていた「矢作部」がいたことや、尾の先が八枚に分かれた鶯の名所だったことから「八尾」という地名になったんだね。 |
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「常光寺」 神社から少し南西、行基の創建で聖武天皇の勅願所でした。 大阪夏の陣の時、藤堂高虎がお寺の縁側で敵の首実検をし、今でも血天井が残されているらしいよ。 また本堂の裏には藤堂高利と71人のお墓もある。 今では「八尾の地蔵さん」で名高く、八月の地蔵盆には「河内音頭」で盛り上がるよ。 |
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城跡から東南、八尾木北5丁目の由義神社です。 物部氏の一族である弓削氏、その弓削道鏡(ゆげのどうきょう)は八尾市の出身、看病禅師となって孝謙天皇の病気を治し信頼されたんだ。 そして法王の地位を得た、でも失脚して下野国に遷されます。 どこかで書いた話、岡山県の北曽根城、和気清麻呂のところだね。 つながってくるね、沢山の人が登場する大阪、まだまだ行けるかな。 |
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平正十二年(1357)、南朝方である楠木正成の三男・正儀(まさのり)や一族の和田正武は、赤坂・千早・飯盛の諸城で旗を挙げました。 この時、八尾城には酒井延綱、佐和正税、秋山忠成、古折信盛、真木野信行の諸将五百余騎で守りを固めています。 しかし北朝方の細川頼之が三万の大軍を率いて、八尾城を攻め、三昼夜の攻撃により落城するのです。 |
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室町時代、河内守護・畠山家の管領争いの時、若江城や八尾城は攻防の場となり、永禄七年(1564)の信長による河内平定後には、八尾城は家臣・池田正教に与えられました。 天正元年(1573)、池田正教は若江城主になるのですが、本能寺の変で信長が世を去ると、秀吉のキリシタン追放により正教は美濃大垣城の池田輝政のもとに追放され、八尾城も廃城となりました。 大阪夏の陣では、八尾を中心に長宗我部盛親と藤堂高虎勢による合戦が行われています。 『参考文献を参照』 |
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