嶬峨城

滋賀県甲賀市水口町嶬峨

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名神高速道路、「栗東IC」から国道1号線を東へ走ります。

水口から549号線に入り、「新岩上場北交差点」で南へ、まもなく126号線へ入り、五叉路で斜め右、200mほどで玉泉寺の入り口があります。

お寺の左、稲荷神社のところには嶬峨城(ぎが)がありました。
  
  
お城は、山屋敷・備後城、江戸時代の堀田陣屋からなる。 ここは山屋敷、東西50m、南北40mの方形だよ。

周りは堀と土塁が二重、よく形がわかるよ。
 
  
青空に浮かぶのは、秋の雲。 稲の穂が秋色に変わる、真夏も過ぎてしまった。

少しくやしいけど、この風景に癒されながら近江から帰るよ。
   

    
元久元年(1204)、蒲生氏の分流で、権五郎俊光を祖とし観学院領嶬峨庄の下司となり嶬峨氏と名乗りました。

長享元年(1487)、足利義尚が近江守護・六角氏の追討令を全国に出すと、六角高頼は甲賀に身を伏せ、将軍勢は甲賀口を攻めるも敗れて義尚も命を落とします。 「鈎(まがり)の陣」

この時、嶬峨越前守は六角高頼に味方し、その戦功で甲賀五十三家に数えられます。

永禄11年(1568)、六角氏が信長に滅ぼされると、家臣・蒲生賢秀が信長の勧誘に応じ、嶬峨氏もその配下となりました。

天正13年(1585)、「甲賀破儀」により嶬峨城は没収されるのです。

『参考文献を参照』

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