滋賀県東近江市一式町 | |
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名神高速道路「八日市IC」から国道421号線を東へ、御園交差点から南へ曲がり、瓜生津町から170号線を東へ走ります。 一式のバス停の北側には、一式城(いっしき)がありました。 2009年6月、梅雨の晴れ間。 太平記に出てくる一色氏かな。 |
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道路沿いのバス停、集会所があるよ。 車を置いて、北側に歩く。 若宮八幡、火見櫓跡の石碑があるね。 神社の太鼓堂を見たはずなのに、撮るのを忘れてたよ。 |
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ここがバス停、案内がいいよね。 集落の東にある百石川は外堀、そこから本丸までが武家屋敷という。 吉川英治著「太平記」の一色右馬介と関係があるのかなぁ。 |
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足利氏の氏族である一色氏は、足利泰氏の子・公深が三河吉良荘一色に住んだのが始まりです。 その子・範氏は尊氏に従い九州で活躍、のち丹後・若狭・近江に分散して足利幕府の四職家(赤松・山名・京極・一色)の一つとして名を連ねました。 しかし義貫が足利義教に嫌疑をかけられ自害してからは衰退、佐々木六角氏の臣・松吉石見守重吉と交代するのです。 信長が千種越や八風越でこの地に進出すると、浅井長政は鯰江城を攻め、一式に一揆を起こさせることに成功したのは、一式城の松吉石見守の存在があったからと云われています。 しかし佐々木氏の滅亡と同じくして一式城も焼亡するのです。 『参考文献を参照』 |
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