滋賀県甲賀市水口町本丸 | |
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名神高速道路、「栗東IC」から国道1号線を東へ走ります。 道から野洲川が離れると甲賀に入る、近江鉄道が近づくと街は宿場街、そこには水口城(みなくち)がありました。 |
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寛永九年(1632)、水口古城である岡山城の石材を使用して築かれました。 賤ヶ嶽七本槍で有名な加藤嘉明の孫・明友が初代城主です。 |
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「水口城資料館」 周囲は堀、橋を渡ると四角の城域となる。 明治維新で廃城となり、建物や石垣の多くが処分されました。 隅の矢倉を模したのは資料館、一人でゆっくり街を見る。 加藤清正と親戚かな、と聞いたけど覚えているかな。 |
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「藤栄神社」 すぐ北にある神社、加藤嘉明が祀られているよ。 兵庫県の三木城、秀吉に二年間囲まれた、北側の加佐村には加藤嘉明が陣を置く。 その東は中村一氏、その東は堀尾吉晴、そして秀吉や竹中半兵衛が横にいたんだね。 |
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水口は都から伊勢に通じる交通の要衝にあり、中世後期にはすでに町並が形成されていましたが、天正13年(1585)、秀吉の命により、水口岡山城が築かれ、その城下町として発展を見せました。 関ヶ原合戦後、この地を直轄地として家康は、水口を東海道の宿駅に指定しました。 そして家康は、しばしばこの地を通行し、宿内の大徳寺などに宿泊しています。 寛永11年(1634)、三代将軍家光は上洛に先立ち、道中となる水口に専用の宿館を築かせています。 これが水口城です。 作事奉行には建築や造園、茶道などで知られる小堀遠江守政一(遠州)があたりました。 城は掘と石垣をめぐらした本丸と北側の二の丸からなり、本丸内部には御殿が建てられました。 その建物構成は、京都二条城に共通し、数奇をこらしたものでした。 その後、幕府の任命した城番が管理する番城となりましたが、天和2年(1682)には加藤明友が入封し、水口藩が成立、水口城はその居城となり明治維新に至りました。 維新後は、廃城となり、建物や石垣の大半は撤去されましたが、本丸敷地のみは保存され、昭和47年(1972)滋賀県の史跡に指定されました。 『現地案内を参照』 |
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