滋賀県長浜市公園町 | |
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北陸自動車道「長浜IC」を出て琵琶湖方面に行くと長浜市内です。 琵琶湖東岸の公園に、長浜城(ながはま)があります。 この城は昭和57年に三層の天守が再興されました。 湖岸には「太閤の井戸跡」、JR長浜駅近くは日本最古の「旧長浜駅舎」、少し北へ歩くと街中には「ガラス館」などがあります。 |
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建物及び石垣の大半は、彦根城の築城時に移されます。 その天秤櫓(てんびんやぐら)や三重の隅櫓は、この長浜城の遺構といわれています。 また、長浜市内にある大通寺台所門や知善院表門も、この長浜城の遺構として知られています。 |
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お城周辺は公園になっています。 名前は「豊公園」といい、中央にある噴水と琵琶湖水面がとてもよく調和していました。 城から公園までの間にある小路で、ふと後ろを見ると秀吉像がこちらを見てました。 少しだけ怖くなりました。 ちなみにJR長浜駅には、秀吉と重臣の石田三成の像が立っています。 |
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長浜はもと今浜といい、「バサラ大名」として有名な京極道誉(どうよ)つまり佐々木高氏が、室町時代の初め頃に出城を築きます。 それが長浜城の元と伝えられています。 以後、家臣の今浜氏、上坂氏が守将として在城したといわれています。 姉川合戦の後、その功によって湖北三郡を与えられた秀吉は、天正2年(1574)頃、小谷(湖北町)から当地に城下町を移し、地名を長浜と改め、ここに城を築いて数年間居城しています。 天正11年(1583)の賤ヶ岳の戦いでは、ここを根拠地として大勝し、信長後継者としての立場を確立しました。 秀吉の家臣である山内一豊も天正13年(1585)から5年間在城したことがあります。 江戸時代になって、慶長11年(1606)には、家康の家臣である内藤信成が入城し、その子信正が摂津高槻に移ってからは元和元年(1615)に廃城となりました。 『現地案内を参照』 |
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