音羽城

滋賀県蒲生郡日野町音羽

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名神高速道路「八日市IC」から国道421号線を東へ、「御園」交差点で307号線を南へ走ります。

国道477号線「松尾北」交差点から東へ4kmぐらい、南側の182号線に入り、雲迎寺を過ぎると、東側には音羽城(おとわ)がありました。
  
  
山頂まで車で行けそう、でも下に置いた方がいいよ。

大手門からすぐ山頂、すっかり公園、トリム案内図が面白いよ。

ここは日野谷の領主・蒲生氏の本城、戦国の英傑として名高い蒲生氏郷は、音羽城を落城させた高郷の曽孫にあたるんだ。

公園だけど、ぐるりと歩く、びっくりするぐらいの城跡なんだ。
 
  
周囲は降りたら上るのに苦労しそうな深い堀、公園の南側、木々の中へと歩く。

片隅には井戸、深さ9m、直径は2m。 籠城の最後、落城の前の日、秀紀の奥方が投身自決をした。

今でもお方の井戸と呼ばれている。 さすがに中を、じっくりと見れなかったよ。
   

    
藤原秀郷を祖とする近江蒲生氏は、室町時代には近江国守護・六角氏に仕えます。

明応五年(1496)、美濃の斉藤利国が京極氏と共に六角高頼を攻撃した時、音羽城主・蒲生貞秀はよく奮戦しています。

文亀二年(1502)、六角高頼の重臣・伊庭貞隆が主君に背いて乱を起こしました。

管領細川政元の後押しにより貞隆は青地城,馬淵城,永原城を落とすと、高頼は観音寺城を捨て音羽城へ逃げ込むのです。

貞隆は家臣赤沢朝経と共に音羽城を包囲、これを蒲生貞秀がよく守り大勝、貞秀は名を世に知らしめたのです。

大永二年(1522)、貞秀の没後、貞秀の孫・秀紀と、西に中野城を築いた叔父・高郷の間に相続争いが起こります。

高郷に攻められた蒲生秀紀は三年間の籠城の末、守護・六角高頼により和議、秀紀が鎌掛城に移ると音羽城は廃城となるのです。

『参考文献を参照』

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