滋賀県彦根市佐和山町・古沢町 | |
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JR東海道本線「彦根駅」の西は彦根城、駅の反対側には標高233m山頂に佐和山城(さわやま)があります。 2006年8月、もう真夏なのかな、日本列島猛暑だよ。 琵琶湖畔東へ向かう探索シリーズ、暑すぎだよ。 |
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近江は長浜で生まれた石田三成。 治部少(三成)に過ぎたるものが二つあり 「島の左近と佐和山の城」。 この夏、司馬遼太郎著「関ケ原」を読むよ。 石田三成、どんな人物だったのかな。 |
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「清凉寺(せいりょうじ)」 ここは彦根城主・井伊家歴代の菩提寺だね。 境内は石田三成の重臣・島左近の屋敷跡と云われている。 関ケ原の本、最初のあたり島左近が忍者につけられる話は面白いよ。 |
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「龍潭寺(りょうたんじ)」 城門の木材で建てた茶室、襖絵56枚は芭蕉の高弟子・森川許六の作だね。 入口には石田三成の像や供養塔がある、佐和山城を落城させた田中吉政の霊牌も祀られているよ。 南は「ふだらくの庭」と呼ばれる枯山水の庭園、奥のお墓の所から上るんだ。 |
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古いお城の絵を見る、五層の天守があったんだ。 でも、関ケ原の功績で井伊氏が入ると、三成への思慕の情を断ち切るため、全てを壊し、彦根城の資材になるよ。 誰もいない、蝉いっぱいの声、山頂の暑さは汗がひく。 |
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「千貫井戸」 南へ降りる、「20m手前に天守の石垣あり」との案内、後ろを振り返るが見えない。 先に進むと「女郎ヶ谷」、落城の日、女子たちが谷に身を投げ、三日三晩悲鳴が聞こえたという。 お金の千貫目にもかえがたい貴重な井戸がここだよ。 |
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北から上り、南の国道8号線側に降りてきた。 暑い暑いアスファルト、止まると暑い、歩くと暑い。 東近江、今日は近畿で2番目の暑さ、東に行こうかな。 気持ちは西から東からで、丁度関ケ原で記念なんだけど。 西へと続く線路、今日も西かな、暑さはどこまで続くのかな。 |
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建久年間(1190-98)、鎌倉時代の佐々木定綱の六男・時綱が佐保氏を名乗り、砦を築いたのが始まりです。 近江の南は六角氏、北は京極氏が守り、この地は両者の争いの地でもありました。 大永年間(1521-28)、六角氏が所有後、佐々木定頼の命で小川左右大輔が城主となります。 のち京極氏に代わって、浅井氏が勢力を持ちはじめると、その部将・磯野伊予守員吉、子の員昌が入るのですが、元亀二年(1571)からの織田軍との戦いで落城するのです。 天正11年(1583)、本能寺の後、秀吉は堀秀政に守らせ、堀尾吉晴、そして石田三成が城主となるのです。 慶長5年(1600)、関ケ原の戦い、佐和山城には父・正継、兄・正澄を留守居に置き、三成は兵六千を率いて出陣、大垣城へ向かいます。 しかし西軍は敗れ、小早川秀秋、井伊直政、田中吉政らが佐和山城の南・正法寺山に陣を置きました。 佐和山城は落ち、三成は近江古橋村で田中吉政に捕らえられ、六条河原にて処刑されるのです。 『参考文献を参照』 |
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