矢島館

滋賀県守山市矢島町

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JR東海道本線「守山駅」から11号線を北西東へ走ります。

477号線との交差点を南西へ曲がり、26号線を600mほど進むと街中には、矢嶋館(やじま)がありました。

ここに最後の将軍・足利義昭がいたんだね。
  
  
足利将軍家の家督相続以外の子として、仏門に入り覚慶と名乗り、一乗院門跡となりました。

兄・義輝が三好三人衆らに暗殺されると、奈良から脱出し和田氏を頼り、矢嶋に居を構えます。

ここが矢嶋御所と呼ばれています。
 
  
自治会館の西にある少林寺が矢嶋館の跡と云われています。 お寺には土塁があるらしいよ。

ここが最後の将軍・足利義昭が居たところ。 そして信長に出会うことになるんだね。
   

    
奈良、一乗院門蹟は、永禄8年5月に甲賀の和田惟政の館を経て、この矢嶋少林寺に入室しました。

観音寺山佐々木六角承禎の命に依って建立した館を本拠にして、土豪矢嶋越中守に庇護を受けて、永禄9年2月還俗して、名を足利義秋と改めました。

同9年9月に西江州にて三好長逸の乱があり、永く続かなかった矢嶋の館を去ることになりました。

この時を界に以後時代は変わり、徳川幕府政下分部二万石の治める矢嶋分城となり、戸田、川田、新庄、今浜、小嶋、矢嶋の管理経営本部となり、明治8年には矢嶋温知学となり、明治24年頃より、自治会館(地下)となって、昭和53年新会館竣工に依り洋風となりました。

『現地案内を参照』

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