塩冶判官屋敷跡

島根県出雲市塩冶町

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国道9号線で島根県に入り中海を越え穴道湖を越えると、JR出雲駅の南には塩冶判官屋敷跡(えんやはんがんやしき)があります。

2006年11月、秋の旅。 やっと着いた出雲の国、来たかったところだよ。
   
  
「塩冶神社」

塩冶判官高貞の屋敷跡かは分からないけど、この神社へ来たかった。

近江佐々木氏から分家した出雲佐々木氏は、頼泰から塩冶氏を名のり、孫が高貞だね。

播磨の史跡とつながっているんだよ。
 
  
 
「参集殿」

出雲塩冶太平記の常設展示をしている、見たかったけど開いていない感じだった。

塩冶高貞のお墓は西、神門寺にあるよ。

姫路の史跡は(上野構居)、加古川は(加古川城)のページで出てくる。

その話が出雲へとつながってくる、ほんと感動だね。
  
  
「出雲大社」

祭神は大国主命、案内にあった古代の社だよ。

境内の発掘調査で、古代の御本殿の柱があらわれ、宮司家に伝わる「古代御神殿図」が証明されたんだ。

古代を復元した図だけど、すごく幻想的な感じだね。
  
  
「稲佐の浜」

10月は神無月、でも出雲だけは神有月というんだね。

全国から八百万(やおよろず)の神々が稲佐の浜から上陸、先導するのが大国主神の使者・竜蛇さま(海蛇)という。

砂を手のひらに乗せてみる、さらさらと隙間から出てしまうよ。
  
  
「神話の国」

出雲駅の前、大国主神は「だいこくさま」とも呼ばれているね、そう因幡の白うさぎを援けた神様。

大国主神は豊葦原瑞穂国を造り、天照大御神に国譲をされました。

のち天照大御神が大国主神のために築いたのが出雲大社。

もっと詳しく知りたいけど、次に行きたい所があるよ、東へ向かうね。
  

  
塩冶判官高貞公は鎌倉末期から南北朝の激動する世相の中を、出雲の守護として「天長、地久、国土安泰」を念じ懸命に生きようとした我が郷土の誇るべき武将でありました。

世に言う元弘の乱(1331)以来、後醍醐天皇の親政を救け、京都還幸の先達を務め建武の中興を支えるにない手となりました。

その後、室町幕府の要職にありましたが、いわれなき訴えに合い、京都を出奔、最愛の妻西の台の局をも失い、自らも馬上で妻子の後を追った人間味豊な武将でした。

後世、高貞公夫妻の名に歌舞伎の名作「仮名手本忠臣蔵」によって脚色され、民衆の人気の的となりました。

『現地案内を参照』

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