島根県松江市西浜佐陀町 | |
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米子自動車道、「米子IC」から国道9号線を西へ、島根県に入り中海を越えると穴道湖、北側431号線を西へ進むと、佐陀川を越えた湖のほとりには満願寺城(まんがんじ)があります。 2006年11月、秋の旅。 出雲の国へ、大きな湖は不思議な気持ちだよ。 |
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弘法大師(空海上人)が出雲大社に参籠される際に、立ち寄られています。 この地で聖観音菩薩像を彫刻されると、湖水から竜神が現れ、五色の大亀に変わり、大師に金の釜を捧げたという。 ここは湯原氏のお城、尼子氏・毛利氏の合戦の時、毛利氏の陣となりました。 |
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「出島神社」 城跡の中心は墓地、その斜面の南北に郭があるらしいよ。 満願寺の西には神社、鳥居のない社として全国に例がないらしい。 案内には「高天の原」や「大国主命の国譲り」という言葉がある、神話のことだね。 |
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「穴道湖(しんじこ)」 神社からの風景、すごく大きな湖だね。 北側の道、出雲へ走る。 なんとなく帰りたくなる気持ち、それとも帰ってきたような気持ちで不思議な感じだった。 |
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源平合戦で、源氏方に付いた湯原義綱は軍功をあげ、子・義景が出雲に入ります。 元弘三年(1333)、後醍醐天皇が隠岐から脱出し伯耆国船上山に入った時、湯原頼綱は馳せ参じて、その功績により出雲秋鹿・島根と伯耆国の相見を所領しました。 嘉吉元年(1441)、播磨の赤松満祐が将軍・足利義教の首をとった事件、いわゆる「嘉吉の乱」で湯原喜信は赤松氏討伐の軍に参戦しています。 大永元年(1521)、喜信の孫・信綱が月山富田城主・尼子経久に属して築いたのが満願寺城です。 永禄五年(1562)、毛利元就が荒隅城(松江市)に進出した時、湯原春綱は毛利水軍として参戦しています。 永禄十二年(1569)、尼子勝久が再興の兵を挙げた時、毛利氏と尼子氏が満願寺城をめぐって激しい争奪戦をくり広げた地なのです。 『参考文献を参照』 |
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