島根県松江市殿町 | |
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米子自動車道、「米子IC」から国道9号線を西へ、島根県に入り中海を越えると穴道湖、その東には松江城(まつえ)があります。 2006年11月、秋の旅。 出雲国の都市、天守や堀、ゆっくり探索したい街並だよ。 |
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城主は堀尾氏三代、京極氏一代、松平氏が十代で明治維新を迎える。 明治8年、無用の長物として櫓や門が壊された。 天守だけは保存されることになり、今では山陰地方で唯一の現存天守だよ。 |
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慶長五年(1607)から足かけ五年で完成、縄張りは小瀬甫庵が担当しているよ。 どこかで書いた名前、岡山県苫田郡鏡野町の日上山城だね。 松江城のことも出てくる、懐かしいなぁ。 天守に入る、木の鯱、大きな井戸にびっくり。 鎧や兜が沢山並ぶ、手すりを持たないとフラフラ落ちる階段、さすがに素晴らしい。 |
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「堀川遊覧」 お城や武家屋敷など1時間で遊覧する、でも揺れるから苦手やね。 たぶん一生、海外と沖縄、隠岐、佐渡は行けない。 お城の北には、武家屋敷や小泉八雲の旧館がある。 琵琶法師・耳なし芳一は有名だね。 |
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「興雲閣」 天守の南は松江神社、堀尾吉晴、松平家と家康が祀られいる。 その南、山陰地方に明治天皇をお迎えしようとして、御宿所が造られました。 今では松江郷土館だよ。 松江、素晴らしい街、ゆっくりしたいけど、神話を探しに西へ行くね。 |
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秀吉、家康に仕え、光秀討伐戦や関ヶ原の合戦などで武功をたてた堀尾吉晴は、慶長五年(1600)出雲・隠岐領国二十三万五千石の大守として広瀬の富田城に入城しました。 しかし、富田城はその周辺を高い山に取り囲まれ大砲などを使う近代戦に不利であったことと、侍を住まわせるに広大な城下街を形成しなければならなかったことなどの理由からこの極楽寺山(亀田山とも言う)に城地を移しました。 築城工事は、慶長十二年(1607)から足かけ五年を費やし、慶長十六年(1611)に一応の完成をみました。 城域の広さは東西360m、南北560mあり、周囲に幅20〜30mの内濠をめぐらせました。 標高28.1mの頂上部に本丸を置き、荒神櫓をはじめ六か所の櫓とそれをつなぐ細長い多門がめぐっています。 天主は本丸の東北隅に築かれて、二ノ丸は本丸の南側に一段低く隣接し、御書院や御広間などがありました。 本丸の東側の平地は二ノ丸下の段と呼ばれ、藩士の扶持米など米蔵が建ち並んでいました。 その外、本丸の周辺には腰曲輪、中曲輪、外曲輪、後曲輪があり、城山の南には三之丸(今の県庁付近)があり、藩主の御殿がありました。 石垣用の石材は、松江市の東部、大海崎、福富地区の山麓から産出する安山岩が大量に使用され、堀尾氏の家紋である分銅型などの刻印が認められています。 城主は堀尾氏三代、京極氏一代といずれも嗣子なく断絶した後、松平氏が十代続き一度の戦乱に巻き込まれることなく明治維新を迎えました。 明治八年(1875)、無用の長物と化した櫓や多門など多くの建物はことごとく壊されたが、天守だけは旧藩士や豪農の懇請により、保存されることになり、山陰地方唯一の現存天守として、その威風堂々たる偉容を今も宍道湖畔に映し出しています。 『現地案内を参照』 |
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