駿府城

静岡県静岡市葵区追手町・城内

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新幹線静岡駅で降ります。 北へ歩いて10分で公園、ここには駿府城(すんぷ)がありました。

2007年5月は東海道シリーズ。 天気も良いし、皆なと歩こうかな。
   
   
大手門を入る、広い公園には堀跡、石垣で四角に囲まれ、中には水があるよ。

天文十八年、三河岡崎城の松平広忠が世を去ると、子・竹千代は八歳で今川氏の人質となり、十二年間駿府で過ごします。

慶長十年、家康の晩年も、この駿府で過ごすんだよね。
 
  
北へ歩く、ここが本丸、家康の像があるね。

本丸には五層七階の天守閣があったという、でも寛永十二年に焼失、明治維新で全てが破却された。

今日は歩こう会の日、沢山の人が集まってきたよ。

もう足が限界かな、まだ東へ行けるかな。
   

    
南北朝時代、南朝の中賀野掃部助と入江駿河守が拠っていました。

応永十八年(1411)、今川氏六代・今川範政が葉梨荘から移り、府中館を構えたのが始まりとも云われています。

天正十三年(1585)、家康は松平家忠に駿府城の築城を命じ、翌年には浜松城から移ります。

天正十八年(1590)、小田原征伐の後、家康は江戸に移り、駿府城には中村一氏が入り、関ケ原の後は子・忠一が伯耆米子城へ転封となりました。

駿府城は、家康の家臣・内藤信成が入るのですが、家康が将軍職を子・秀忠に譲ると駿府城を隠居地と決め、内藤氏を近江長浜城に移します。

元和二年(1616)、家康が世を去ると、徳川頼宜が在城し、兄・秀忠の命令で紀州和歌山城へ移ると、家光の弟・忠長が城主となるのですが、上野に蟄居となり、駿府城には城代が置かれました。

慶応四年(明治元年1868)、徳川家達(いえさと)が駿府城主となり、翌年には駿府を静岡と改め、お城も払い下げとなるのです。

『参考文献を参照』

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