白地城

徳島県三好市池田町白地

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高松自動車道・徳島自動車道を走り「井川池田IC」で降ります。

国道32号線を少し西へ、池田の街から更に西、吉野川が南へ大きく曲がる高台には白地城(はくち)があります。
   
   
吉野川の西岸を少し登ると、簡易保険保養センターがある。

駐車場にはお城の案内、この辺りが本丸だったのかな。

姫路から瀬戸大橋で来るか、明石大橋から淡路島経由で来るか。 迷うぐらい丁度、中間の位置にあるよ。
  
   
「吉野川」

徳島市から続く吉野川は、三好郡池田町で大きく南へ曲がります。

渓谷を流れて高知県を通り、再び西の愛媛県へと向かう途中で地図から消えていきます。

高知や愛媛のお城、まだまだ行けそうにないかな。
  
 
「大歩危 小歩危」

「おおぼけ・こぼけ」と読みます。

吉野川沿いの8kmにわたる渓谷、大股で歩いても、小股で歩いても危ないという所。

昔は堀でボートに乗れたし、湖でもアヒル船に乗れた。

今は土と接触している乗り物しか乗れない、これは見てるだけ。
  
  
「祖谷のかずら橋」

日本三大奇橋の一つ、平家の落人が追ってを逃れるため切り落としやすい橋にしたと伝わっている。

幅2m、長さ42m、隙間からは祖谷川の流れが見え、中央では支える手すりが外側に広がる。

遊園地の恐い乗り物より恐いと人々は言う。 一人だけ上向きに寝転んでクネクネしながら進む、見ている人は他人と言う。 
  
  
「琵琶の滝」

かづら橋出口の反対側、大丈夫だよ、横に普通の橋もあるからね。

屋島で敗れた平国盛が安徳天皇を奉じて祖谷に入りました。

その落人達が昔日の古都の生活をしのび、滝の下で琵琶を奏でて、つれづれを慰め合っていました。

全国に数多い平家伝説、この滝もその一つです。 
  

  
白地大西城は田井庄(四国中央部)の庄司近藤氏が、建武二年(1335)この地に城を構え、郷名をとって大西と改姓し、政を取って以来八代(250年)にわたる居城でした。

大西とは阿波の最西端を意味し往時この地は土佐、讃岐、伊予の各地に通ずる兵事交通の要路であり、大西氏は外に出ては大剛、内にあっては民治に意を用いた領主でした。

天正三年(1575)長曾我部元親は阿波侵略を開始し、南方の海部氏が最初に領土を奪われ、天正五年(1577)には大西氏も防戦かいなく、その所領を侵され城主・大西覚養は身をもって讃岐麻城に難をさけました。

元親は白地城に入り、これを改修して根拠地とし四国統一の志をなしとげ、その後元親は天正十三年(1585)秀吉の四国遠征との戦いに敗れ土佐に退きました。

以来大西城は廃城となり、最近にいたるまで旧城の最高地の削平地、かた堀、武者ばしり等が残存し、往時をしのぶことできました。

『現地案内を参照』

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