法勝寺城

鳥取県西伯郡南部町鴨部

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米子自動車道の最終「米子IC」から9号線を西へ、山陰道「米子西IC」から180号線を南へ走ります。

法勝寺の町役場あたりで、川を西側へ渡ると法勝寺公園、ここが法勝寺城(ほうしょうじ)になります。
   
   
三村家親といえば、備中松山城主で宇喜多直家と対抗し、最後は美作の興善寺にて、鉄砲で暗殺された人物だよね。

暗殺されたのが、永禄九年だから二年前に築いたんだ。

でも、その頃は備前や美作での戦いで忙しいよね、毛利本紹の説が正しいのかな。
 
  
川を渡り、お城の東側。

大きな石碑の所から上る、少し草中を通り抜ける所が堀かな、車が通れそうな普通の道に出る。

ぐるりと回って、山頂への道がある。

二の丸、更に上は本丸へと、土塁や真ん中には一本の木。

やっぱりお城は、この雰囲気が一番だよね。
   
  
尾崎寺城主・毛利本紹を祀るお墓、後ろに沢山の五輪塔があるね。

一説によると、法勝寺城には毛利遠江守本紹が城主となる。

でも尼子遺臣の山中鹿之助により攻められて落城。

十九歳の本紹は自刃したと云われているよ。
  

  
永禄7年(1564)、毛利氏により築かれ、吉川元春の家臣・三村家親が城主になりました。 家親は、尼子方の八橋城を攻略し、城将吉田源四郎らを敗走させました。

一説によると、法勝寺城には毛利遠江守本紹が城主になりましたが、尼子遺臣の山中鹿之助により攻められ落城し、本紹は自刃し果てました。

中世特有の典型的な山城で、本丸、二の丸で構成され土塁や空堀が残っています。 今では城山公園として整備され、桜の名所になっています。

『現地案内を参照』

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