河原城

鳥取県鳥取市河原町谷一ツ木

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八頭郡智頭町から53号線へ、河原町で32号線を西へと入ります。

河原橋で千代川を渡り始めると、西北には標高98m山頂に河原城(かわはら)が見えてきます。 

遠く昔から「八上姫神話」を伝えるこの街は、鳥取攻めの城跡が戦国時代をも伝え始めたのです。
  
  
丸山城と伝わるこの城は、平成3年から発掘調査が行われ、堀切・柱穴・郭など多くの遺構が発見されました。

平成6年に築かれた河原城は公募により命名され、愛称は「若鮎城」だそうです。

夜のライトアップも見たいよね。
 
  
三層四階の展望室は標高115mです。

東には「千代川」が流れ、北には鳥取砂丘も見えるよ。

と書いても見る余裕は無く、足がジンジンするまでの7秒間で一回りして中に入る。

展示の刀と鮎釣り用毛バリもよかった。
   
  
「八上姫神話」

和銅5年(712)、日本最古の書物「古事記」には、大国主命(おおくにぬしのみこと)と八上姫(やかみひめ)が結ばれる神話が書かれています。

よく耳にする「因幡の白兎」は、大国主命が八上姫を尋ねる旅の途中でのお話だそうです。

八上姫公園には、この神話が石の紙芝居で紹介されてるよ。
  
  
「売沼神社(めぬま)」

大国主命は八十神(やそかみ)というお兄さん達がいました。
八十神は、因幡の国に美しい八上姫がいることをきき、求婚する為にこの地に来ました。 その時、荷物全部を大国主命に持たせていたのです。

砂浜で、八十神は隠岐の島から逃げてきた白兎を困らせたのですが、大国主命はその白兎を助けました。

すると白兎は予言するのです。 「八上姫と結婚するのはあなたです」と。 その後、2人は結ばれたのです。

八上姫は河原町の人と伝わり、ここは「八上姫」を祀っているのです。
  

   
天正六年(1578)、三木城の別所長治が織田信長に叛旗を翻した為、尼子勝久と山中鹿之助らが守っていた上月城は毛利の大軍によって落城しました。

天正八年(1580)、羽柴秀吉は三木城を「干殺し」と伝わる兵糧攻めで落とし、但馬有子山城の山名氏を滅亡させ、 そして姫路城を出発し、鳥取城攻めへと向かうのです。

秀吉は若桜鬼ケ城に木下重賢、景石城に磯部兵部大輔を置き、この河原城で陣を構えて西にある鹿野城を落とし、鳥取城へと迫りました。

一方、鳥取城では城主・山名豊国が秀吉に付くことに不満を持った森下道誉と中村春続が豊国を追い出し、毛利一族である吉川経家を城番として迎えました。

天正九年(1581)、再び秀吉の攻撃が始まり、鳥取城を完全に包囲し、「鳥取の渇き殺し」と伝わる兵糧攻めを行い、森下・中村・奈佐・塩治そして吉川経家は切腹、ついに鳥取城は落ちるのです。

天正十年(1582)、秀吉は備中高松城を「水攻め」と伝わる方法で攻撃、毛利側の清水宗治を切腹させました。 その時すでに「本能寺」からの伝説が届いていたのです。

『参考文献を参照』

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