淀江台場

鳥取県米子市淀江町今津

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国道9号線を西へ、JR「淀江駅」の北側には淀江台場(よどえ)がありました。

2008年11月、秋色が似合う鳥取。 大山を過ぎたら美保湾の色、鳥取はどこまでも美しいね。
  
  
国道から海側の集落の道へ入る、でもたどり着けない。

何回か往復、もっと西側から広い道があったんだ。

鳥取藩には、因幡に浦富・浜坂・賀露の3ヶ所、伯耆には境・淀江・赤崎・由良・橋津の計8ヶ所の台場が造られた。

いよいよ探索も戊辰戦争が登場、ほんとテレビドラマの方が良く分かるよね。
 
  
西洋式の城塞で、きわめて異色らしいよ。

高さ4m、長さ24mの土塁、「西洋式」と日本式の違いが分からない。

少しだけ調べた、でも分からないよ。

今度、台場に行った時、気にしながら見てみることにするよ。
   

   
淀江台場を築いた松波宏年は、天保5年(1834)、20歳の若さで郡の大庄屋を努めた人物です。

安政2年(1855)、鳥取藩の郷士に任じられ、その恩に報いるため農兵隊を組織します。

また土地を提供して台場を築き、藩の海岸防備に尽くし、のち慶応2年(1866)の第二次長州戦争、慶応4年(1868)の戊辰戦争では、政府軍として活躍した記録が残されています。

現在、淀江台場跡は直線的に67mが残るのみですが、発掘調査によって削平されている南側部分が確認され、現存する土塁は中央正面の部分であることがわかりました。

淀江台場には、六尾反射炉(大栄町)で作られた5寸砲(長さ3.6m)、18斤砲(3m)、6斤砲(1.2m)と3門の大砲が備えられました。

当時は丸い鉄の弾で、射程距離は1里(約4km)と伝えられます。 1〜2ヵ月に1度、砲撃訓練が行われましたが、実践に使用されることはありませんでした。

『現地案内を参照』

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