日方江城

富山県富山県富山市日方江

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中央自動車道の「松川IC」から東、国道153号線を南へ、JR飯田線「山吹駅」から真東に位置し、天竜川に架かる台城橋の西側には、大島城(おおしま)がありました。

2008年11月、長野お城は広い、嬉しいと思うよ。
   
   
富山城の東、新庄城は道がせまく、あきらめた。

やってきたのは了照寺、ここがお城だよ。

江上重左衛門が城主、でも一時は上杉景勝の家臣・寺島民部左衛門が入っていたらしいよ。
 
  
ここから北の北陸街道には、上杉謙信が大村城を攻めた時に、村人に命じて「そうけ一杯銭何文」と金を与え、土砂を運ばせ築いたと云われる「そうけ塚」があります。

今では天神神社、謙信はこの丘から大村城をにらんだと云われています。

後で知ったよ、おしかったよね。
    

    
この城は、安土桃山時代の天正年間(1573-91)以前に、大村城の出城として成立したと云われています。

轡田(くつわだ)豊後守の居城と伝える大村城の東400mに位置し、轡田家の家老、あるいは江上重左衛門(萬十郎)の居城であったとされています。

西は窪田川、東は琵琶川の沼地、北は海と天然の要害に囲まれ、浜街道の要所にありました。

浄土真宗・了照寺境内を中心に、南北約80m、東西約70mが城跡とされ、境内の南側にかけて高い土塁と空堀が残ります。

寺の南側に空堀と郭、東側に土塁と空堀、富山学園南側に空堀などが残り、築山割・築山畑割・屋敷割など城に関する小字も多い残ります

北方の天神社境内には、上杉謙信が大村城の動静をうかがうために作った「そうけ塚」また南方には、兵が馬の足を洗ったことに由来する「馬橋」などの伝承地があります。。

『現地案内を参照』

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